先日、奥野修司さん著『魂でもいいから、そばにいて』3・11後の霊体験を聞く(新潮社)という本を読み終えました。
私も以前、被災地にご親戚や友人、知人のある方から、不思議な霊的体験をした方がいたというお話を聞いたことが有ったので、この本の宣伝を見て、すぐに買い求めました。
霊というと、怪談話の幽霊を連想するのか、怖いという方が多いようですが、亡くなって肉体を失い、目に見えない霊になっても、人は人、私たちと変わらないといいます。
言い換えれば、人は肉体をまとった霊なのだそうです。
水が温度によって液体になったり、氷になったり、水蒸気になったりしますが、私たち人間も、肉体を持ったり、霊的存在になったり、何度も生まれ変わり死に変わり、あの世とこの世を行ったり来たりしているようです。
あの世とこの世は波長の違いで見えないだけで、コインの表裏の様に隣り合っていますし、とても影響し合っているらしいのです。
一般では、亡くなって成仏するとその人の人格が仏様の様に善人になると考えられているようですが、残念ながら、亡くなっても生きていた時と同じ人格が続くようです。
人格は、あの世での修行、この世での修行を経て少しずつ向上していくものだそうです。
だから、今生死ぬ瞬間まで頑張って、少しでも向上してあの世に行かないと、また同じような試練を繰り返さなくてはなりません。
それで、今生、結構波乱だった私、来世は少しでも穏やかな人生が送れるよう、できるだけ親切に、正直に、謙虚に生きようと奮闘中です。
霊を信じる人も、信じない人も、肉親が亡くなると、亡くなった肉親から、なんらかのメッセージや存在を知らせるような合図を感じたことがある人が50パーセント以上いるという話もあります。
私自身も母が亡くなった後、とんでもない所で、ふっと母の香水の匂いを感じることがありました。
また、母が亡くなったのは2月で、どこの家でも風鈴などつるしていなかったと思うのですが、あちこちで、度々風鈴の音を耳にしました。
それも、ガラスの風鈴の音ではなく、いつもよく響く鉄製の風鈴の音でした。
それを耳にするたびに、母が私を励ましてくれていると感じたものです。
以前このブログにも書きましたが、私の姉は、飼っていたフレンチブルドッグの霊を見ました。
この本にも愛する人の霊が現れた様子が書かれていましたが、霊の現れ方は人間もペットも同じようです。
まずある場所がもやもやとしてきて、だんだん輪郭がはっきりして、ついにその人になるらしいのです。
あまりはっきりしない場合でも、見る人にはそれが誰だかはっきり分かるといいます。
姉の場合、ペットの死に目に会えず、すごく残念がって、一目会いたいと数カ月もペットロス状態だったので、ペットの霊にあえて本当に喜んでいました。
それからやっと姉も元気になったのです。
この本の中に紹介されている方々も、夢の中で亡くなった方に会ったり、真っ暗な夜、余震におびえていた時、泥の中から発見された、壊れて光るはずもない形見の携帯電話が光り続け、懐中電灯を取りに行くことができたとか、亡くなった人からメールが届いたりとか、様々な体験談をされています。
どの体験談からも、亡くなった後も、残してきた愛する人を心配し、励まそうとしている霊たちの愛情が伝わってきます。
残された人々は亡くなった肉親が消えてしまったのではなく、ちゃんと魂として存在しているのだという事を確信します。
あの世とこの世にいて、目には見えなくなっても、亡くなった肉親はいつも自分の傍にいて、魂は繋がっているのだと感じられるようになります。
その事によって、皆さん絶望的な喪失感から抜け出し、癒されぬ悲しみを抱えつつも、何とか生きる力を頂いて、立ち直り始めたのです。
最近肉親を亡くされて悲しんでいらっしゃる方、死ぬことが怖い方、ぜひこの本を読んでみてください。
心が温かくなり、今を生きる事に感謝が湧いてきますよ。
3.11の大災害は日本人に大きな衝撃を与え、大きな悲しみを生みだしました。
私たちはその悲劇を単なる悲劇で終わらせてはなりません。
その中に学ぶべきものがたくさんあり、気付くべき事も無数にあります。
その一つがこの本のテーマとも言える『霊魂不滅』の霊的真理だと思うのです。
この本を読み、一人でも多くの方が『人間は霊的存在なのだ。肉体は死しても霊として存在し続けるのだ』と感じて下されば、多くの亡くなった方々にとって何よりのご供養になると思います。
霊的真理をこの世の人々に伝えるという大切なお役目を果たしたことだけでも、彼らの死は無駄にはならないからです。
作者の奥野さんがどこまで意図的だったのか分かりませんが、神様から見て、奥野さんは大変すばらしいお仕事をされましたね。
続編『冬の旅』期待してます。
北千住のスピリチュアルな占い師 安 寿