立川談志さんが亡くなった。
言ってはいけない事を言ってしまう人だったので、その傲慢さが私は好きになれなかった。
しかし彼のファンは、彼のそこが好きだったのだろう。
それは彼の演技だった、計算だったという人もいるが、喉頭ガンを患ったところを見ると、スピリチュアル的に考えれば、そうとばかりも言えないものがあったのじゃないかと思う。
スピリチュアリズムの観点から病気を考えると、病気には大きく分けて三種類ある。
過労や不摂生からくる肉体的な病気、人生のカリキュラムとしての宿命的な病気、その人の考え方や行動が原因となって起こる病気の三種類だ。
宿命的なものは避けられないだろうが、過労や不摂生は自分でも気づきやすいし、注意すれば避けられる。厄介なのが考え方行動が引き起こす病気だ。いつも自分の言動に注意していれば避けられるが、そういう人は少ない。自分の問題に気付いていても、直せない場合も多いし。
スピリチュアル的に言えば、病気は天罰ではなく、自分自身と向き合い、今までの生き方についてゆっくり考える時間を与え、自分の問題点や課題や人生のテーマに気付かせるために、それらの点と関係のある部分が病気になるのだという。
例えば、毒舌はもちろん、愚痴っぽかったり、人の悪口ばかり言ったり、また言うべきことを言わずに、言葉を押し殺している時にも、自分の口の中やのどに関する病気になるらしい。
また、成長ホルモンを出す甲状腺の病気は精神的な成長に問題がある場合に起こるというし、肝臓は怒りの臓器だから、怒ってばかりいたり、怒りを溜めこんだりすると、肝臓や胆のうの病気になったりするという。
鼻の病気は周りの人を気にしすぎるとか、消化器の病気は、人生にいろいろ起こる不満を上手に処理できず、文字通り消化不良を起こすとか…。
だから自分が病気になったら、ただただ不安になったり嫌がったりせず、自分の思い癖や言動を客観的に眺めてみよう。
素直に考えればいいのだ。
目の病気なら、自分は物事をちゃんと見ているだろうか、物の見方に問題があるのではないだろうか、見るべきものから、目を背けてはいないかとか、いろいろ考えてみよう。
考えても分からなかったら、守護霊様たちに質問してみよう。答えは必ず頂ける。
一日に、5分か10分でもいい、静かな時を持ち、心を鎮めて瞑想することだ。
瞑想している時に、答えが浮かぶことがあるかもしれない。とんでもない時に、意外な形で、インスピレーションのように閃くかもしれない。
いずれにしろ、求めれば、必ず得られる。
病気が、あるきっかけをもたらしてくれることもある。
私の場合は、腰痛がスピリチュアリズムと出会うきっかけを作ってくれたし、20年来のパニック障害が治ったことで、ただイメージすることが、いかに大きな力を持つものなのか、想念の力を実感したし、またそれ以上に、自分が霊的存在であることに確信が持てた。
人は無意味に病気になるのではない。病気も人を磨くし、新たな世界へと導いてくれる大切な経験の一つなのである。
北千住のスピリチュアルな占い師 安 寿