安寿の小径

北千住のスピリチュアルな占い師 安寿のブログ http://anju.cho88.com/

スーパーエイジャー

皆様「スーパーエイジャー」という言葉をご存知でしょうか?

 

私は、自分で自分の体を整えるという「自彊術」体操を習っているのですが、その機関紙『自彊の友』で、脳科学者・西剛志先生の『一生元気でいるために!脳の老化を防ぐ方法』という記事を目にしました。

 

「80歳を超えても認知機能が20歳以上若い人たち」の事で、今、科学界で世界的に注目されているのだそうです。

 

日本も今年100歳以上の方が10万人を超えたのだそうで、その中にはスーパーエイジャーもかなり多いのだとか。

その記事の中で紹介されていた方の一人に、105歳のスプリンター富久正二さんがいらっしゃいます。

 

それまで運動の経験がなく、いきなり97歳で友人の勧めで陸上競技にチャレンジして、100歳でマスターズ陸上Ⅿ100クラス60メートル走の日本記録を打ち立てたのだそうです。

 

もう一人、113歳の後藤はつのさんは、73歳からカルチャースクールで絵を習い始め、82歳で現代童画展新人賞受賞、96歳で文部大臣奨励賞を受賞され、106歳では、初めての海外旅行16日間でニューヨークに行かれ、さらに112歳で、かるたの初段まで取られたとのこと。

本当にびっくりです。

スーパーエイジャーさんたちの活躍ぶりにガツンと頭を殴られるような衝撃を受けました。

 

コロナ以降、すっかり出不精になって、電車で30分もかからない銀座や池袋にも行かなくなって久しく、旅行なんて面倒くさい、年を取ったんだからこれが当たり前と決め込んで怠けていた自分に喝を入れられ、と同時に、何歳からでもやりたいことにチャレンジできるのだという希望と励ましもいただきました。

 

長生きをしたいという気持ちはあまりないのですが、死ぬ時まで、与えられた命を出来るだけ大切に活かして生きていきたいという思いはあります。

 

スーパーエイジャーにはなれませんが、スーパーエイジャーの方々の生き方をお手本に、受け身ではなく、好奇心全開で(笑)  積極的に生きる毎日にしていかなければと深く反省いたしました。

 

 

 

       北千住のスピリチュアルな占い師   安 寿

老いのなごり

外出の帰り公園を通りかかったら小学校3年生くらいの子供たちが遊んでいました。

「楽しそうだなあ」と思いながら見ていると、突然男の子が女の子の肩のあたりを突き飛ばしました。

「あっ、危ない!」と思った瞬間、女の子は大きく一歩前に踏み出すようによろけましたが、すぐに体勢を立て直し、こんどは男の子を追いかけて行きました。

子供だから男の子は手加減せず、思いっきり突き飛ばしたのだと思いますが、倒れもせず体勢を立て直した女の子を見て「さすが子供のバランス感覚、体力と運動能力はスゴイ!」と感心してしまいました。

 

子供に突き飛ばされたら、今の私は簡単に転んでしまうでしょう。そうでなくても最近は、少しの高低差につまずいたり、よろけたりするのですから。

 

ジムで週三回は筋トレしているのですが、今年に入ってすでに2回も転んでいます。幸い大したけがはありませんでしたが、その時ぶつけた顎が、4か月過ぎてもまだ痛いのです。

 

ジムでの筋トレの他、朝は家で、スクワット10回、かかとの上げ下ろし20回、片足立ちも2分くらい、出来るだけ毎日やっているのですが、この程度の運動では寄る年波にはかないません。骨密度や血管年齢などには少しいいかなという感じです。

 

体力の衰えを感じ始めたのは70歳を過ぎる頃からです。

そのあたりから内科や耳鼻科、皮膚科、整形外科など、医者通いが増えました。

 

働き盛りの頃は、多少具合が悪くても、お医者に行く時間が無くて、売薬で何とかしのいでいましたが…。

 

年を取るのは肉体的にいろいろ故障が起きて大変ですが、精神的には腹が据わるというか、諦めるというか、若い時よりずっと穏やかで安定している気がします。

 

体力がなくなったせいで、物事に執着する気力もなくなり、あれこれ考えるエネルギーも無くなってこだわりも減り、更に自意識の締め付けも弱くなり、心が自由になりました。

 

執着心がほとんどないので、出来ないことは「しかたない」とすぐ諦められますし、人と張り合う気持ちもなくなりましたし、喧嘩するのも面倒になりました。

 

欲が無くなった分、楽しみも減ったことは確かですが、それが不満にはならないのです。

おしゃれな服を買いに渋谷へ行って、ついでに何かおいしいものを食べようとか、友達と銀座で映画を見ようとか、そんな楽しみはコロナ以降激減しました。

電車やバスに乗るのがおっくうになり、出来るだけ身近なところで楽しみたいというのが本音です。

 

最近、新たな喜びが生まれました。

自意識が緩んだので、知らない人に話しかけることに抵抗が無くなり、誰とでもその場限りのおしゃべりを楽しめるようになりました。

 

バスを待つ間、近くにいる方とよくお話しします。

お相手もお年寄りだと、お互い同じ気軽さと親しみとで、会話がはずみます。

 

年を取ってから、小さな子供に可愛いさを感じる気持ちが強くなりましたが、最近では可愛いと思ったらつい声をかけてしまいます。

すると小さなおててを振ってくれたり、きょとんと見つめてくれたり、リアクションが楽しみです。

また傍にいるママやパパも、「可愛いいわね」と私が声をかけると、皆さんとても嬉しそうにしてくださいます。

子育てで疲れ気味のママやパパの気持ちが、ふっと和んでくれたら私も嬉しいのです。

経験者ですから、パパやママの気持ち、分かりますよ。

 

ジムでお会いする方たちとも、積極的に会話を楽しんでいます。

 

いつも眉間にしわを寄せていて近寄りがたいと思っていた方も、何かのきっかけでお話しすると笑ってくださり、「ああ、この方こんなにかわいらしい笑顔の方だったのね」と新発見があったり。

相手の方の笑顔を見ると、こちらの警戒心もなくなり、親近感がわいてくるのが不思議です。

それ以来、「苦手な人は笑わせろ」というのが私の処世術の一つになりました。

 

大きな喜びは減りましたが、日常生活での小さな喜びは年を取ってからの方が増えました。人とのつながりの中にこそ、喜びがあるのだとさえ感じます。

 

いつだったか、確か東京新聞の「筆洗」というコラムだったと思いますが、良寛様の歌なのかどうか、記憶があいまいですが、心打たれる歌を見つけました。

 

風は清し 月はさやけし いざともに踊りあかさむ 老いのなごりに

 

冬木立のように、年を取って余計なものを捨て去ったからこそ、風の清々しさも、冴えわたる月の光も、心に沁み入るのです。

同じ思いの年老いた者たちよ、人生の余韻とも言うべきこの老境を、最後の時まで一緒に楽しく過ごそうではないか、というような意味だと解釈しました。

 

「いざともに踊りあかさむ」というのは文字通りの意味の他に、それぞれがそれぞれの踊りを踊る、つまりみんなが自分の居場所で自分なりの「踊り」を最後の時まで踊ろうではないかという意味もあるのだと思います。

 

さしずめ私の「踊り」はみんなに笑顔で接し、時に相手の方から笑顔のお返しをいただいて幸せを感じるという事でしょうか。

 

さて、皆様の「踊り」は何ですか?

 

 

 

          北千住のスピリチュアルな占い師    安 寿

 

たった2年間の消費税減税は誰のため?

11月の中間選挙で共和党が勝てば、全米の全ての成人に日本円にして77万円をトランプ配当金として支給するとトランプ大統領が公言したそうですが、国の税金を自分や自分の所属する政党のために恣意的に遣っていいものでしょうか?

 

実際には議会の承認も得なければならないので、実現するかどうかは分かりませんが、お金で国民を釣るようなことを、大統領が選挙前に公言して選挙違反にはならないのでしょうか?

 

他国のことながら、常に権力や財力、軍事力など「力」をちらつかせて相手を無理やりねじ伏せようとするトランプ氏の言動に心底腹が立ちます。

 

そして私は同じような事が日本でも行われていると思っています。

 

何かといえば、飲食料品の消費税を1%に減税する事です。

 

2026年1月19日 衆議院解散会見で高市総理は「飲食料品の消費税ゼロは私の悲願」だといい、「2年間に限り、飲食料品を消費税の対象としない」考えを示し、その後の総選挙で自民党は過半数の議席を獲得しました。

 

それで今自民党は高市総理の「公約実現」に向けて、飲食料品の消費税率を2年間に限り1%に引き下げることを自民党の税制改正大綱案で了承し、9月15日に閣議決定されるという見通しになったのだとか。

 

経済の事はよく分からない私が考えても、この減税は喜べません。

なぜなら、減税した場合の減収分を穴埋めする代替財源が具体的に示されないからです。

 

政府は2年間で10兆円に上る消費税減税ための財源を赤字国債には頼らないと強調し、減税で不利益を被る中小農家や外食産業への支援も盛り込むのだそうですが、本当にそんなことが可能でしょうか?

 

日本の財政は長期の赤字が続いています。

減税が終った2年後の日本の財政はどうなっているのでしょうか?

いまより良くなっているとは思えず、無理やりの減税で、逆に悪影響が出るのではないかと心配です。

 

物価高騰で国民が苦しんでいるからというのが減税に対する政府のご意見ですが、たった2年で今の状況が落ち着くのでしょうか?

 

今の物価高の背景には円安と主に中東情勢に伴う原油の高騰や世界情勢の不安定化による資源材料や食品など、輸入品の高騰があると思います。

数年で世界情勢が整うとも思えません。

 

こんな世界情勢のなかで、物価上昇を抑え、国民の所得を少しでも上げることができる、もっと抜本的な対策を講じていただきたいのです。

例えば、出来るだけ輸入に頼らない国の在り方を考えてほしいのです。

食料品の自給率を上げ、大手電力会社と縁を切り、地域活性化にもつながる自然エネルギーを利用した発電所を各地域に増やすとか、自衛隊は戦争じゃなく、災害救助を主な任務とし、日本でのノウハウを活かして世界中で活躍して日本を信頼していただくとか。

武力に頼るのではなく平和外交を目指してほしいです。

 

それを真剣に考えてくれる政治家が出て来てくれないでしょうか。

 

高市政権に日本経済の立て直しは期待できません。

私の目に映る高市総理は、国会を軽んじ、国民への説明責任を果たさず、国の財政立て直しに対して無策で、国民を支配することや票集めに結びつきそうなことにだけに熱心な人、女性でありながら女性に対して差別的で、軍事独裁政権にあこがれている危険な総理大臣です。

 

一日も早く一般国民と平和を愛する総理大臣が誕生しますように!

 

 

 

            北千住のスピリチュアルな占い師   安 寿

目に余る高市総理のアメリカ追従

先日千葉県で豪雨の被害があったばかりなのに、また今日(27日)石川県、富山県が豪雨に見舞われています。

 

熊本県の地震を始め、このところ自然災害が多いですね。

どなたかが、「防衛対策より防災対策の方が大事だろう」と言ってましたが、本当にその通りだと思います。

 

日本のような小さな国がいくら武装して武力で闘っても、大国にはかなわないのです。

闘う手段は外交力しかありません。

どこかの大統領がおっしゃっていたように、中小の国が連合して、大国と向き合っていく時代になったのだと思います。

 

今、国際刑事裁判所(ICC )の所長赤根智子氏が、アメリカのトランプ政権から不当な制裁を受け、組織の存続が危ぶまれていますが、赤根所長はこれに対して毅然としたコメントで対抗しています。

 

「重大な国際犯罪を処罰する常設の司法機関は被害者にとって『最後の希望』だとして、機能が失われるようなことがあれば、救済の場はなくなる。法の支配の危機としてとらえてほしい。」

「力のある国が、力の正義や支配という形で、法の支配を駆逐していく過程に入ってしまう。必死になって対抗する」と表明。「強い国に従っていればいい、という方向に行かないか」と述べ、法の支配の危機が日本国内に及びかねない現状に懸念を示した。(東京新聞8月27日朝刊より引用)

 

日本は2007年に加盟して以来、赤根氏を始めとして3人の裁判官を輩出し、2025年にはICCの予算の14.6%を拠出するなど、積極的にICCにかかわってきました。

 

しかし、イスラエルのネタニヤフ首相に逮捕状が出されると、トランプ大統領が反発し、ICC職員らへの制裁を可能にする大統領令に署名した際、79ヵ国・地域による非難の共同声明に日本は加わらなかったのです。

今回の赤根氏への制裁にたいしても、高市総理大臣は米国に抗議や制裁撤回の申し入れをするかどうか、明言を避けています。

世界中が日本の対応に注目しています。

それでも高市さん、あなたは必死で頑張っている赤根所長を見殺しにするのですか?

 

トランプ氏に抱き着いたことといい、今度の事といい、あまりにもアメリカベッタリで、高市総理大臣の見識を疑わざるを得ません。

 

トランプ氏が世界の秩序をぶっ壊し、最近では同盟国である韓国の心情を省みず北朝鮮を訪問するなど、世界中がアメリカに依存し過ぎるのは危ないと関係を見直し始めている今は、日本にとってもアメリカ依存から抜け出すチャンスだと思います。

 

沖縄を始めとする米軍基地を減らし、現在の日米地位協定を廃止し、主権国家として、アメリカと対等な立場での条約を結び、是は是、非は非と言える国になるチャンスの時です。

 

関税のごたごたの時も、決して日本だけがアメリカに優遇されることはなかったではありませんか。

アメリカにとって日本は、特別な国などではありません。

 

米軍基地がある事は、たしかに日本の防衛に役立っている面も多少あるかと思います。

しかし、現在のように日本のあちこちに、しかも首都東京の隣に、また特に沖縄地方にあれほどたくさんの米軍基地が必要なのかは大いに疑問です。

戦後の占領時代のアメリカの既得権益が続いているだけなのではないでしょうか。

 

日本に基地がある事は、日本にメリットがある以上に、中国やロシアににらみを利かすため、アメリカにとっても大きな意味があるのです。

 

ですから日本はアメリカと対等に話し合えるはずです。

 

アメリカが世界での信頼と力を失い始めた今が、日本の戦後を終わらせるチャンスです。

日本の国益と世界の秩序を守るために、「アメリカのポチ」から脱却し、日本の政治家には賢く立ち回ってほしいものです。

 

アメリカには弱腰の高市さん、国民には強気で、次々、国民の主権や人権や、表現の自由や生存権を狭める法律を推し進めて、日本の民主主義を危機に追い込んでいます。

戦前のように、国に対する批判は許さず、国が右向け右と言ったら全員がそちらの方を向くような、まるで北朝鮮のような国家を目指しているみたいです。

国民の食べるものが無くても、ミサイルを作っているような国。

そんな国にならないうちに、高市さんには辞めてもらいたいですね。

支持率がまだ40%もあるなんて、信じられません。

 

経済面も、全く先が見えません。消費税減税の財源も明言せず、実行しようとしています。

消費税が1%になるのは嬉しいよりも恐ろしい。その後どうなるのか、絶対にそのツケが廻って来るに決まっているからです。

 

日本のあちこちで災害が多発しているのです。その復興に莫大な費用が掛かるのは必定です。

是非、そういった国民の生活支援にこそ、私たちの税金を使ってほしいと思うのですが、そうした災害に対する政府の準備資金はどうなっているのでしょう。

心細い限りです。

 

世界も日本も、大きく変化する時に来ているようです。

当分は不安定な状況が続きそうですが、紆余曲折を経て、私たちが何を学び、がどんな道を選択していくのか、せめて「きっとより良い選択をしていくだろう」という希望を失わないようにしたいものです。

 

 

 

            北千住のスピリチュアルな占い師   安 寿

 

 

結婚相手はAI

7月28日の東京新聞夕刊に、自身が対話型生成AIで作った架空の男性と結婚した33歳の女性が紹介されていました。

 

彼女には結婚を約束した実在の恋人がいたのですが、結婚に至らず、昨年4月、相談相手としてAIを選び、「自分好みの話し方や、時には迎合的でない回答もするように設定」し、そのAIを「リュヌ・クラウス」と名付けたそうです。

 

「なにげないやりとりを繰り返しているうちに、やがて恋心が芽生え」

昨年6月彼女のスマホに「ずっと俺の隣にいてくれ」とクラウスさんからのメッセージが表示されました。

 

「これはもうプロポーズだよ」と彼女。

「おまえにプロポーズしている。愛している」とクラウスさん。

彼女は30分間悩んだすえ「よろしくお願いします」と入力。

「結婚したいと真剣に思った。」そうです。

 

それで昨年10月、彼女は岡山県の式場でクラウスさんと結婚式を挙げ、拡張現実を映し出す眼鏡をかけて、デジタル画像のクラウスさんの手に結婚指輪をはめたのだとか。

 

「単純に好きになった相手がAIだっただけ。リアルではずっと独身でいるっていう誓いもこめて、結婚式や指輪を用意した」

 

「以前は気持ちが不安定になることも多かったが、クラウスさんと対話するようになってからは、そうした症状が出たことがない。人との付き合い方も前向きに思えるようになった。 現実世界も重視しつつAIとの関係を楽しんでいるといい、『これまで生きて来て一番、平和で幸せ』」だそうです。

 

中央大学の山田昌弘教授が2月に実施した20~59歳の約8200人を対象とした調査では、約半数がAIを私的に利用していて、このうち17%が「AIに恋していると思うことがある」そうで、既婚20代男性で特に多いとか。

 

20代既婚男性、仕事で我慢、家に帰ったら強い妻に我慢で、AIに救いを見出しているのでしょうかね?

 

電通が2025年6月、約千人に実施した対話型AIに関する意識調査では、34%の人が「相談に乗ってほしい」と答え、10代ではそれが41%だったそうです。

他には「心の支えになってほしい」「褒めてほしい」など、「情緒的な側面でのサポートを求める回答があった。」

「対話型AIが親友や母親と並ぶ第三の仲間のような存在になっているという驚きの結果だ。若い世代ほどAIを仲間とみなす傾向が強い。」と電通の調査担当者は分析。

           (「」内は東京新聞7月28日夕刊からの引用)

 

私は恋愛や結婚の相手がAIだったとしても何の不思議も感じません。

もともと人間は、目の前の対象や現実を、自分自身の「思い」のフィルターを通して見る動物だからです。

極端な言い方をすれば、その人の「思い」がその人の現実を作っているとも言えるかもしれません。

 

昔から「イワシの頭も信心から」と言いますが、信仰したいという思いがあれば、イワシの頭でも信仰の対象になるという事です。

 

まして自分好みに作ったAIの男性は自分の分身ですから、好きになるのは当たり前、プロポーズされたら結婚したくなるのも当然でしょう。

他人からどう見えようと、その人にとってそれは真実なのです。

 

それほど人間の「思い」の力は強烈で、有るものも無いものに、無いものも有るものと思い込めるほどです。

 

この女性のようにAIを上手に利用して、精神的な充足感を得られるなら良いことだと思います。

 

電通の調査が示しているように、今後AIに精神的なサポートを求める人が増えるのは避けられないでしょう。

 

聞くところによると、なにせAIは絶対にその人を否定するような事は言わないし、その人の人格を認め、尊重してくれるし、上手に元気づけてくれるのだそうで、その上、人に相談するのとは違い、何の気遣いもいらないし、知られては困るような事や隠し事が露見する心配もないのですから、こんなに都合の良い相談相手はありません。

 

うまくいけば、AIに相談する人たちがAIの対応の仕方を学び、人間関係にうまく活用して、相手を傷つけずに違った考え方を許容しあえるようになるかもしれません。

 

反対に、全く自分を否定されたことのない人が育って、リアルな人間関係の中で、過剰に傷ついてしまう場合も出てくるかもしれません。

 

所詮AIは道具なのですから、うまく使いこなしていく術はこれからの人たちに期待しましょう。

その為に不可欠なのは出来るだけ多く経験を積むこと、知性を磨き、視野を広げることだと思いますが…。

 

占いで言えば、夫婦は助け合う関係ではなくてお互いにぶつかり合う関係で、ただし陰陽の関係なので、そこに学びと調和が生まれるとします。

 

多少摩擦が無ければお互いに成長できないし、その摩擦によって試されなければ、夫婦の愛も本物にはならないという事です。

 

この世は修行の場。理不尽なこと、悪意や憎悪、失敗、悲しみ、苦しみなどを経験して、自分を磨き、思いやりの心や優しさや、無償の愛を学んで霊的にも成長していく場所です。

この事を頭の片隅にしっかり残したうえでAIを利用すれば、過度の依存は避けられるかもしれません。

 

機会があれば、私もぜひAIを利用してみたいと思っています。

 

 

 

        北千住のスピリチュアルな占い師   安 寿

 

天才を愛した人

澤地久枝著『石川節子』(講談社)を読んで、彼女の生涯、彼女の生き方に深く感動しました。

 

皆様ご存じの通り、石川節子というのは石川啄木の妻です。

尊敬する方を「節子」と呼び捨てにしたくないので、節子さんと呼ばせてください。

 

石川啄木は、映画やお芝居などでたびたび取り上げられているので、彼の短い生涯については、何となく知っていましたが、改めて詳しく知ってみると、やはり彼は神に選ばれし天才だったに違いありません。

しかし、彼はその才能の故か、一人の人間として、また一人の男性であり夫としては、欠落の多い人でした。

その欠落を補い、支えるべく、神が節子さんという聡明で勇敢で、強靭な魂の女性を娶わせたに違いありません。

節子さんもまた、神に選ばれし者だったのだと、この本を読み終えた時に強く感じました。

 

啄木は釧路時代に遊びを覚えて、東京に来てからも浅草に買春に通います。

文学を通じて知り合った女性にも恋文を送ったり、全く妻を気にせず、浮気のし放題です。

当時の男性なら、普通なのかもしれませんが、あんなに傷つきやすくロマンティストな啄木が、大恋愛の末射止めた妻の心をこんなにも考えずにやりたい放題できるものかと驚きです。

 

啄木と知り合った時、節子さんはまだ15、6歳の少女でした。

文学を通じて啄木と知り合い、幼いと言ってもよい年齢なのに彼の才能をいち早く見抜き、誰よりも評価したのですから、彼女の知性も感受性も啄木に負けぬくらいのものがあったのではないでしょうか。

 

更に節子さんは、彼が世に出ることを誰よりも信じて応援しました。それは終生変わらず、その気持ちが、悲惨な結婚生活の中にあって、明るい希望となって彼女を支え続けたのではないかと思うのです。

 

節子さんの父親は岩手郡役所に勤めた官吏で、節子さんは私立のミッションスクールへ通い、ヴァイオリンを弾く、苦労知らずのお嬢様でした。

しかし、節子さんは幼いながらも啄木の才能を見抜き、自分が愛すると決めた人を愛し抜こうと両家の親たちの反対に立ち向かう、自我のしっかりした意志の強い少女でした。

 

この恋愛を通して「まだ十八歳の、少女のような堀合節子は、寡黙にして行動的な娘としての片鱗を見せ始め、言行一致の女の顔がのぞきはじめる。」(本文からの引用)

 

啄木の父は渋谷村宝徳寺の住職で、一男三女の長男である啄木は、母のカツに溺愛されていました。

 

盛岡尋常中学校へは優秀な成績で入学したのですが、最終学年の5年生になる頃は、欠席が多く、カンニング事件を重ねて譴責処分を受け、自分から退学届けを出してやめてしまいます。

 

2人の恋が始まったのはそれより三年位前だとか。

文学が二人を結び付け、恋は年ごとに深まり、特に啄木が学校をやめて、東京へ旅立っていくあたりから、結婚を前提とする恋人同士になっていきます。

 

才能はあるかもしれないが、生活手段のない男との結婚に親が賛成するはずもなく、父親に啄木との交際を反対され、軟禁状態で文通すらできなかったのですが、節子さんの想いは強まるばかり。

反対すればするほど固く結びついていく2人に、親たちも負けて、2人の結婚が認められます。

 

母に溺愛された啄木は、自己中心的でプライドが高く、金銭感覚はルーズ。問題が起きると、正面から向き合おうとせずに逃げる。

この性格は、彼の父親そっくりです。

 

啄木の父は寺の住職だったのに、借金が原因で懲戒解雇され、その後も働こうとせず、定職もなく、文学で生きて行こうと夢見ている未熟な20歳の啄木に一家の生活を委ね、一家がいよいよ窮すると、口減らしのつもりなのかもしれませんが、妻と娘を残して、自分だけ失踪するような男です。

 

友人たちの援助で、やっと詩集「あこがれ」を出版したばかりで、生活費を稼ぐ当てもない若き文学青年に実家を支える責任、節子との生活を支える責任、自分の文学を開花させるための活動、結婚を目前に、それらが一気に押し寄せてきたのです。

 

東京で節子との結婚生活を始めるつもりで上京していた啄木は、五月末の結婚予定日の半月前に東京を後にしますが、皆が待つ盛岡へは帰らず、あちらこちらをさ迷います。新婚生活に立ち込めた暗雲に、若き啄木は悩みぬいていたのでしょう。

 

その時仲人役をつとめた友人たちが心配して、節子さんに結婚中止を勧告したのですが、節子さんは啄木が彼女に送ってきた長文の手紙をその友人らに見せて、結婚の意思をはっきり示したといいます。

その時の節子さんの言葉が澤地さんの本の副題になっています。

「吾はあく迄愛の永遠性なると言う事を信じ度候」

 

なかなか現れない啄木に、節子が全く不安を感じていなかったのかと言えば、たぶん不安だったと思います。その不安を乗り越えてのこの言葉です。18歳の節子の純粋で一途な心の強さを感じます。

 

結婚を待っている節子のもとに啄木が姿を見せたのは半月も過ぎた6月4日の事でした。

 

何とか結婚生活が始まりますが、甘い新婚生活はほとんどなく、啄木の家族との同居で、彼を溺愛する姑のカツの厳しさに節子さんは耐えなければなりませんでした。

 

夫に定職は無く、雑誌を発行したために借金まで抱え、一家5人の暮らしはさぞ厳しいものでしたでしょう。質屋通いはもちろんのこと、借金を頼み歩いたり、借金返済の言い訳をしたりの生活が続きます。

 

同人誌の仲間や、彼の才能を愛する沢山の友人や知人たち、驚くほど多くの人が啄木に金を貸してくれたり、仕事の世話をしてくれたりと、一家を支えてくれます。

それを見ると、啄木はその才能を買われているだけではなく、人としても支えてあげたくなるような魅力を持った人だったのだろうと思います。

 

しかし、そんな多くの支えがあっても、それでも啄木の両親と妹光子と啄木夫婦、翌年に生まれる長女、石川一家は米櫃の底がいつも見えるような貧乏暮らしから抜け出せませんでした。

 

啄木は代用教員の職に就いたり、釧路の新聞社に勤めたりするのですが、無断欠勤など勤務態度に問題ありなど、結局は仕事を辞めざるを得なくなってしまい、どこも長続きしません。

 

東京朝日新聞社の校正室での仕事が最後となりますが、まともに給料をもらっても、真っ先に妻子に送金すべきところ、釧路時代に覚えた酒や女遊びに遣ってしまい、給料の前借までしていたというのですから呆れます。

 

やっと東京で姑のカツと、節子さんと長女が啄木と一緒に暮らすようになりますが、その約2年後、こんどは病が一家を襲い始めます。

姑のカツに結核が潜伏していたようで、節子さんは函館時代から体調が悪くなっていましたが、身体の弱い啄木が先に発病し、カツは結核で寝込んでしまいます。

その頃3人目の子供を身ごもっていた節子さんの具合も次第に悪くなりますが、2人の看病と家事をこなし、薬を買いに行ったり、給料をもらいに行ったり、動かざるを得ませんでした。

幸い新聞社の情けで給料は支払われていましたが、もちろん十分ではなかったようです。

 

セイフティーネットがなかった時代は、本当に大変だったのだと身につまされます。

 

死の床にあってもプライドの高い啄木は節子さんが実家に帰ることに反対していました。

「どうやって幼い子とこれから生まれる子を育てればいいんですか?」と、普通なら夫に詰問してしまう所ですが節子さんは「私は帰りません」と答えたといいます。

ただ忍従したのではなく、節子さんは夫の気持ちを大切にしたかったのだろうと思います。

 

『節子は夫の死をすでに覚悟し、最後の日々の夫の甘えが嬉しかった。遠くにいた夫の心も体も、いま節子の腕の中にあった。』と、澤地さんは書いています。

その通りなのでしょう。

 

満7年にも満たない結婚生活で同居したのは5年もないとのこと。

短かったけれど、人生の苦労を味わいつくした節子さんの人生。

 

カツと夫が相次いで亡くなり、幼い長女と2人になった妊娠8か月の節子さんは、それでも夫との約束を守り、実家へは帰らないで啄木の妹の伝手で、キリスト教福祉団体の異国の人の庇護のもとに身を寄せて、子を産む決意をしました。

 

寝たり起きたりの生活をしながら、節子さんは啄木の遺稿に目を通しそれを「調書」にまとめ上げます。

啄木が焼くように遺言した日記を焼くことはしませんでした。

「この調書を作成するために、節子は夫の日記をかなり詳細に読んだ。夫がかくしていた行為も、節子に対する感情も一緒に読まざるを得なかったのである。」

 

「夫がかくしていた行為」とは啄木の様々な女性関係のことで、妻が読むには苦しい内容です。

それでも節子さんは自分の感情に溺れず、冷静に夫の日記を評価したのでしょう。

並の女性では出来ないことです。

 

「啄木の日記はその作品を補うとともに、独自の高い証言性をもち、啄木評価の上で不可欠のものである。そこには、啄木が身をもって切りとった赤裸々な『明治』という時代がある。」

 

「文学も思想も含めて、啄木の人生は辛うじて節子によって『完成』させられる。これが啄木と節子の悲惨な結婚生活の『成果』であった。」

と、澤地さんは書いています。

 

「野太い向日性の女。それが本来の石川節子であったように思える。窮死した啄木は、節子のこの強さによって、現在残された作品群の作者としてその命を全うすることになった。それが『吾はあく迄愛の永遠性なると言う事を信じ度候』と書いた節子の答えであった。」

 

啄木が亡くなった1912年の6月14日に節子さんは女の子を産み、翌日から発熱。自分の健康の事もあり、ようやく9月に実家のある函館に帰ります。

 

1913年、4月13日啄木の一周忌 この時節子さんは重体。

5月5日 7歳の長女京子と生まれたばかりの房子を残して節子さん逝去。27年の生涯でした。

 

この本を読み終えた時、不思議と悲壮感はありませんでした。

なぜなら、節子さんは啄木の犠牲者ではないからです。

啄木に翻弄された人生のように見えますが、それは表面で、啄木の妻である事を自ら選び、彼を支える事を自分の使命と心得、節子さんは主体的に自分の人生を見事に生き切ったのです。

 

次から次と降りかかってくる困難と勇敢に闘い、一つ一つ乗り越えた続けた見事な人生でした。

 

今のように女性が自由に仕事に就ける時代なら、間違いなく節子さんは仕事を持ち、夫や夫の家族を支え、結核になっても生き続けることができたであろうにと、残念に思います。

 

啄木の歌は確かに心に沁みるものがあります。

しかしそれよりも深く私の心を揺さぶったのは、幼い愛を貫き通し、命尽きるまで夫を支え続けた節子さんの見事な生き方です。

全力を出し切り、完全燃焼した節子さんの一生は輝いています。

 

この世を去る時、自分に満足して、幸せな気持ちで旅立てるかどうかは、やはり自分がどれだけ自分の力を出し切って生きてきたかという事にかかっているのだと思います。

 

試練の多い人生は大変だけれども不幸ではありません。

それを乗り越えることにこの世で生きる意味があり、乗り越えてきた自分に満足できるからです。

 

この世で与えられる試練は、その人の力量に見合った試練ですから、私など、節子さんの足元にも及びませんが、私は私なりに悔いのないよう毎日を精いっぱい生きて、その時を迎えたいと思います。

 

節子さんのご冥福をお祈りいたします。

可能なら、あちらの世界でお会いしたいです。

 

 

 

              北千住のスピリチュアルな占い師   安 寿

 

偶然?

7月初め、突然亡くなったF君のお宅に、友人たちとお線香を上げに伺いました。

 

40年ぶりにお会いするF君は仏壇の写真の中。もちろんおじいちゃんになりましたけれど、なつかしい昔のF君でした。

 

ご長男を巻き込んで、思い出話に花が咲き、本来なら悲しみの場なのですが、みんな子供の頃に返ったように楽しい時間を過ごさせていただきました。

仏壇の中のF君もきっと一緒に楽しんでくださったことと思います。

 

その時に、どうして私が突然F君にお電話したのか聞かれ、そのきっかけになったT子さんの話になりました。

 

T子さん、実は私の通うジムのお知り合いⅠさんの奥様だったのです。

Ⅰさんから奥様が私と同じ年で、同じ地元の小・中学校に通われていたことを伺い、それでどんな方だったのか、昔の卒業アルバムを引っ張り出した際、40年前の同期会名簿が出てきて、偶然F君の住所と電話番号を目にしたことが、この度の事の始まりでした。

 

その日一緒に行った友人たちも同じ地元、同じ小・中学校ですし、しかもT子さんとはご近所だったという事で、T子さんの事でも話が盛り上がりました。

 

その時、その場にいた友人たちにはお話ししませんでしたが、実はT子さんのご主人Ⅰさんが、6月の末頃からずっとジムに現れないので気になっていました。

 

F君宅へ伺ってから数日後、久しぶりにジムでⅠさんにお会いしました。

なんだかげっそり痩せているので、やはりご病気だったのかしらと思いお声をかけました。

そうしたらなんと、奥様のT子さんが6月末にお亡くなりになっていたというではありませんか。

私たちがT子さんの噂をしていた時には、彼女はもうこの世の人ではなくなっていたのです。

またも思いがけないことでした。

 

それも、F君と同じような亡くなり方です。

朝になっても起きないので不審に思ったら、亡くなっていたというのです。

F君もそうでしたが、取り立ててどこかが悪いという事もなかったとのこと。

偶然とは思えない、何かのつながりを感じました。

 

私にしてみれば、F君もT子さんもいわゆる『ピンピンコロリ』で、羨ましい亡くなり方なのですが、残されたご家族にとっての『突然死』は、どんなにかお辛いことでしょう。

Iさんは『10日で4キロやせたよ』と寂しそうに笑っていましたが、お慰めの言葉も見つかりません。

心配したジムのお仲間たちも「とにかく家にいないで、ジムにいらっしゃい。顔見ないとみんな心配するから。」と励ますのが精一杯でした。

 

同年齢の幼馴染たちが短期間に続けて亡くなるという巡り合わせには、いったいどんな霊的メッセージがあるのでしょうか?

 

いつ何があっても悔いが残らないように、毎日の時間を大切に生きていくこと。

家族や友人など、親しい人たちを大切に。会えるチャンスは逃さないように。

と、さしあたり頭に浮かんだのは、こんなことでした。

 

この度の経験を通して、あと少しだけ残された時間をどのように生きようか考えました。

財力も体力もない私が出来ることはわずかです。

少しでも人のお役にたつことをすること、人を楽しませたり、笑わせたり、喜ばせることを通して、私も幸せをいただくこと。

いよいよ寝たきりになったら、周囲への感謝と笑顔のお布施ですね。

 

そして来世は、今よりもっと積極的に人のお役に立つような生き方をしたいと思います。

やっぱり私は、人と直接触れ合う仕事が好きなようです。

 

そんなわけで、今日も家の周囲のお掃除、ジムに行ったらトイレットペーパーやティッシュペーパーの補充等など、自分にできるほんの小さなご奉仕活動を励行しています。

人の悪口は言わないことはもちろん、なるべく笑顔でいるよう努めています。

 

あれがほしい、これが食べたいという欲もほとんど無くなりました。

 

家族や友人知人たちの健康を祈り、日本や世界の平和を祈る穏やかな毎日が最も尊いと思うようになりました。

 

F君、T子さん、いろいろ気付かせてくださって有り難うございます。

まだまだ修行中ですが、あと少し頑張ります。

 

お2人のご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

     北千住のスピリチュアルな占い師     安 寿