安寿の小径

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『蜜蜂と遠雷』を読んで

まだ梅雨は明けてないのに、連日猛暑が続いています。
暑さに年々弱くなっている私は、夏本番を目前にして、既に青息吐息という感じですが、豪雨の被害に遭われた方々の大変さを思えば、暑いくらいで文句は言えませんね。


友人に勧められて、恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)を読みました。
今年の本屋大賞を受賞した話題作なので、お読みになった方も多いと思いますが、色々な意味ですごい作品だと思いました。
分厚くてしかも二段組みですが、寝る間も惜しんで一気に読んでしまいました。


3年ごとに開かれる国際ピアノコンクールを舞台に、互いに競い合う若き天才ピアニストたちの物語です。
音楽の事なんか全然知らなくても大いに楽しめます。
ピアノコンクールという特殊な世界が舞台ですが、音楽コンクールに限らず、芸術や芸能、スポーツなど、技能を競い合う場は、いつも手に汗握るスリルと興奮と感動に溢れていますから。
挑戦者たちの不安や情熱、挫折や喜び、希望や感動の情景は、また私たちの誰もが人生で体験しているものですから、そのリアルさが後押しして、我が事のようにグイグイ引きずり込まれて、一緒に泣いたり笑ったりしてしまうのでしょう。


それに作者の恩田さんの描写力はすごいです。
その曲を一つの情景として、言葉で可視化して見せてくれ、感じさせてくれるのですから。
恩田さんはプロ並みに音楽に造詣の深い方なのでしょうね。或いは作品を書くうちにそうなられたのか、主人公たちのピアノ演奏の描写を読んでいると、本当にその人のその演奏を聴いているような興奮と感動を覚えるのには驚きました。
こんなに感動してしまうのは、私が音楽をあまり知らないからなのか、ここの所は、ぜひ音楽のプロに感想を聞かせていただきたいところです。


実際、国際コンクールに出場できるだけでも大変なものです。
早い子は3歳位から、多くの楽しみを犠牲にして若い心血をピアノの練習に注ぎ込んで、練習、練習の明け暮れで、国内の様々なコンクールに挑戦し、頭角を現した者たちがさらにしのぎを削って、やっとこの国際コンクールに挑戦できるのですから。


各国のかなりの実力者たちの中から100人が選ばれ、第一次予選に挑戦し、第二次、第三次予選を通過して本選に残るのはわずか6人です。
終結果が出るまでには2週間くらいかかるそうで、演奏者たちにとっても、審査員たちにとっても、それを支えるスタッフにとっても、本当に大変なものなのですね。
100人の演奏を5日間で審査するという第一次予選の事だけを考えてみても、その大変さが容易に想像できます。


選ばれた6人は世界の注目を浴びるでしょうが、でもそれで将来が約束されるわけではなく、さらにいろいろな努力を重ねて、やっとプロとして世の中で活躍していけるようになる、気の遠くなるような厳しい世界です。
そんな厳しい世界に引き付けられる若者たちは一体どんな人なのでしょう。


この物語の主人公とも言うべきは、養蜂家を父に持ち、各地を転々とするため、ちゃんとした音楽教育を受けたこともないが、驚くべき繊細な耳を持ち、大音楽家ホフマン先生が自ら出向いて指導したいと思う程の稀有な天才児であり、無欲な自然児でもある16歳の少年、風間塵。


ジュリアード音楽院のエリートで、誰もが認める折り紙付の才能を開花させているマサル19歳。


若き天才と世間で認められながらも母親の死で表舞台から逃げ出し、世間からの誹謗中傷で傷つき、一度はピアノから離れようとしたが、彼女の才能を惜しむ音大の教授一家に支えられ、迷いながら再びコンクールに挑戦しようとしている栄伝亜夜20歳。マサルの幼友達でもある。


結婚し家庭も持っているけれどピアニストの夢が諦められず、楽器店で働きながら練習時間の捻出に苦労しつつも、このコンクールに自分の将来を懸けている高島明石28歳。


この4人が国際ピアノコンクールという場で出会い、お互いの素晴らしい演奏を聴くことで触発され、新たな自分を発見し、それぞれがそれぞれの未来へ道を見出してゆくという物語です。


神は、努力した人には、その努力の苦労を吹き飛ばしてしまうほどの喜びを必ず与えて下さいます。
音楽であれ他の芸術や芸事、スポーツであれ、己を忘れて自分の夢に打ち込んでいる人にも、その夢に魅入られてしまった人にしか味わえない喜びがあるのでしょうね。
だからこそ今も、世界中に無数の夢追い人たちがいるのでしょう。


この天才たちの物語を読みながら、私はなぜか、コンクールにも出られない世界中の何万、何千万といる、天才を支えている多くの無名の芸術家たちの事を思わずにいられませんでした。


映画『アマデウス』の中の、モーツアルトの才能を羨むサルエリの言葉が思い出されたのです。確か『神は私に音楽への情熱だけは与えてくれたけれど、才能は与えてくれなかった』というような言葉だったと思います。
サルエリは当時宮廷音楽家として活躍していた人です。
サルエリ自身も才能に恵まれていたからこそ、モーツアルトの稀有な才能に気付く事が出来たのでしょう。


その頂点を目指す者にとって、天才は確かにうらやましい存在ですし、誰もがそれに憧れるのも当然です。
しかしこの世で生きる人は全て役割分担しなければなりません。
誰もがモーツアルトになれるわけではありません。
天才には天才の役割があり、その他の人々には、またそれぞれの才能に見合った役割と活躍の場があるのです。


この事をサルエリが理解していれば、モーツアルトを羨ましがる代わりに、天才の力を借りて自分の殻を破り、新たな自分の才能を引き出せたかもしれません。
サルエリも一角の音楽家。真に能力のある人ほど、他の人から学ぶ力も高いはずですから。


風間塵のような天才は、まさに他の人の殻を破る『起爆剤』としての役割を担っています。
マサルや亜夜も天才ですから、一次予選、二次予選と勝ち進んでいく中で、塵の演奏を聴き、互いの演奏を聴きながら、自分の中の真実に気付き、大きく成長して行きます。


塵の演奏は、演奏者たちばかりでなく、聴衆や審査員たちの殻をも破り、『型にはまった演奏やただの技巧的なうまさだけの演奏でなく、真に個性的な才能』も認めるようになるのです。


天才が芸術の世界に投じた波紋は徐々に広がって行き、影響を受けた人々がそれぞれの立場や才能ややり方でその波紋を伝え、お互いに刺激し合い、影響し合って、目に見えぬ大きなうねりとなって世界中に拡散してゆくのでしょう。


芸術は、才能を与えられた者だけのものではなくて、全ての人に与えられた神からのギフトです。
それを楽しむ力は全ての人に備わっています。


縄文時代の人が、素焼きの土器に模様をつけたり、白い布に色を染めたり、洞窟に壁画を描いたりしたことを見ても、歌わない民族、踊らない民族、楽器を持たない民族はいないのをみても、芸術は人間の本質的な喜びであり、私たちの身近に常にあるものなのだと分かります。
この本を読んでその喜びを新たにしました。


本当に、芸術は神が与えて下さった生きる喜びの一つです。
それを自由に享受できる時代と環境に生きていることに心から感謝です。




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