安寿の小径

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身の毛のよだつ事件

私も70歳を目前にして、身体のあちこちにガタがきているのと同時に、頭の方も危なくなって来ています。
今自分がしたことを忘れるのです。
いえ、忘れるというよりも、自分がしたのだという、その記憶がないのです。
だから、毎日使っている包丁が、突然行方不明になってしまい、3日間も不便をしたりするのです。


思い込みも激しくて、無くなったと思うと、目の前に有るのに目に入らず、あちこち探しまわる有様。
またく、自分で自分が信じられません。
なくなった包丁は、3日後に、毎日見ている棚の上にありました。


自分が信じられない分、謙虚にならなければいけないと思いつつ、肝心なところでその心がけがどこかへ飛んで行ってしまい、自信たっぷりと言い張ってしまったり、自分の心も体も思うようにコントロールできない「老い」と闘う毎日です。


先日、障害者施設が襲われるという、日本の歴史上かつてない、誠に痛ましい、人として最も恥ずべき事件が起こりました。
犯人は障害者を特別な人として考えていたようですが、少し考えてみれば、障害を持つことは何も特別なことではないのです。
ケガや事故で、或いは病気で、そして年を取れば、認知症になり、耳や目が不自由になり、足腰が立たなくなったりして、全ての人が障害者になる可能性を持っているのです。


犯人の植松君は、自分にも障害者になる可能性があるのだとは考えもせず、人の心を思いやる想像力もなく、自分を正当化するためにナチスヒトラーをひっぱり出してくるほど幼稚で独りよがり、自分こそが人として大切なものを欠いている欠陥人間なのに、全く己が見えない本当の意味での愚か者。


でも彼ほど極端にひどくはなくても、己の未熟さを棚に上げ、いや、未熟だからこそ、弱者を見下したり、軽んじたりする人たちが少なくないのも事実です。
過去に、老人の福祉について「枯れ木に水をやるようなもの」と言った大臣がいましたし、権力と金力、武力が幅を利かせているこの世の中、だれでもが弱者への思いやりを見失う危険を持っているのです。


弱者に対して思いやりの心を持てるのは人間だけです。それが人間の証であり、最高の美徳です。
今回の事件は、その美徳が、今の日本の社会のなかで弱まってきている象徴のような気がして、事件の凄惨さと相まって、なおさら、うすら寒い気がするのです。
彼がヒトラーを引っ張り出してきたのも、まんざら偶然ではない気がするのです。
きっと、今の日本に、あのころのドイツと同じ気配があるのです。
私たちは、ヒトラーの亡霊に心奪われないよう、十分注意しなければなりません。


沖縄に対する政府の強引な米軍基地押しつけのやり方。
福祉の予算を切り詰めて、税の優遇をはじめとする大企業重視の政策、軍事費の増加、言論への圧力など、国家による弱者軽視、国民軽視ではないでしょうか。


東京都知事選挙も明後日です。
せめて都知事には、弱者や都民に優しい人を選びましょう。



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