安寿の小径

北千住のスピリチュアルな占い師 安寿のブログ http://anju.cho88.com/

沖縄の記録映画『標的の村』を見て

7月10日までほとんど毎日雨か曇り、肌寒いような日が続いていましたが、今日やっとお日様が出て、近所の小学校のプールからは久しぶりに子供たちの元気な声が聞こえてきます。


記録映画『標的の村』の冒頭場面でも、ヤンバルの大自然の中で活き活きと遊ぶ子供たちの姿が映し出され、心が癒されます。
しかし、その子供たちの住む家から、わずか400mくらいしか離れていない場所に、米軍のヘリポートが建設されようとしているのです。


1995年9月、12歳の少女が米兵に拉致され暴行を受けるという痛ましい事件をきっかけに、沖縄県民の米軍基地に対する怒りが、日米両政府を動かし、基地の整理縮小が検討され、約5千ヘクタールの返還が発表されたのですが、それには沖縄県民の望まない『移設条件』が付いていました。
その中に北部訓練場も含まれ、返還区域内にあるヘリパッドの『移設』が返還の条件になっていて、その移設先が高江地区だったのです。


高江は沖縄県北部・東村(ひがしそん)にある地区です。
絶滅が危惧されているような貴重な野生生物が生息する豊かな種亜熱帯の森に囲まれた、人口160人ほどの小さな集落です。
高江地区は、北部訓練場と隣接しており、これまでも住民は上空を飛び回るヘリの騒音や墜落の恐怖の中で暮らしてきたのですが、その高江地区を取り囲むように6個のヘリパッドが建設され、そのヘリパッドには、あの悪名高いオスプレーが配備されるのです。


国に対し住民が、ヘリパッド完成後の飛行経路、高度、予想される騒音などについて質問しても、国民を守るべき国は「米軍の運用については関知できない」としか答えません。
これでは住民が納得できるわけはありません。


2007年7月、国は住民の叫びを無視して、工事の着工を強行しました。
これに対抗するために、住民有志が日本国憲法に保障された権利を行使して、演習場の数か所に設置されたゲート前での座り込みを開始したのです。


その住民をまたも苦しめたのがスラップ裁判です。
私はこの映画を見て、初めてスラップ裁判という言葉を知りました。


スラップ裁判とは、政府や自治体、或いは大企業など、大きな権力や力を持つ者に対して、公的に声を上げたり、対応を求める行動を起こすなどした、権力を持たない弱者に対して、力を持つ側が、恫喝、発言封じ、場合によっては単にいじめることだけを目的として起こす、加罰的、或いは報復的な訴訟の事です。


非暴力の高江の住民たちの抗議活動が通行妨害であるとして、国がその禁止を求めて裁判を起こし、14人の住民が国に訴えられました。
米軍を守るために、国は国民をねじ伏せようとしたのです。


高江から那覇まで、裁判の為に出かけなければなりません。
裁判中は座り込みもできなくなります。
座り込む人が少なくなる時間帯を狙っての建設資材運び込み、夜討ち朝駆けで、少しも気が休まる時がありません。
その上裁判です。仕事も生活も、肉体的にも、経済的にも、精神的にも、どれほど大変だか…。
そんな裁判が、最高裁で門前払いされるという不当な結果が出るまで、約4年も続いたのです。


なぜ高江地区を囲むようにヘリポートが建設されるのでしょうか?
なぜなら、高江地区にある建物も住民も、米軍の軍事訓練の標的するためなのです。


この事実を知って、本当に驚きましたが、もっと驚いたことがありました。
それはベトナム戦争がはげしかった頃、高江には『ベトナム村』というのが造られていたのだそうです。


北部訓練場は正式名称をジャングル戦闘訓練センターといい、ベトナム戦争時のゲリラ訓練には欠かせない場所だったのです。
1964年9月9日付「人民」という新聞に、米軍が『対ゲリラ戦』訓練で、県民を徴用し、乳児や5,6歳の幼児を連れた女性を含む約20人の東村高江、新川住民を徴用して、対ゲリラ戦における南ベトナム現地部落民の役目を演じさせたという記事が載ったそうです。


当然この訓練に区民は激しい憤りを燃やし反対の声を上げたのですが、当時沖縄はアメリカの占領下にあり、生活の90パーセントを山林に頼って暮らしている区民に対して、米軍に山林全面立ち入り禁止を宣告されることは死を意味する事だったのです。


こうした脅しによって、ヤンバルの森に、ベトナム戦でも使用された悪名高き『枯葉剤』が蒔かれ、ベトナムの家屋そっくりに造られたベトナム村が出来上がり、住民たちはベトナムの人民そっくりな黒い衣装まで着せられて、しぶしぶ訓練に参加させられていたのです。
当時の人はこれを『ベトナム村』と呼んでいました。


時代が変わって今はベトナム村は無くなりましたが、その代わりオスプレイを使った飛行訓練のための標的の場所が必要となったのです。


乗っている米軍兵士の笑っている顔が見えるほどの低空飛行で、高江地区をぐるぐる旋回し、訓練をしているのです。
酷い時は夜間に1時間近くも旋回していることがあるそうです。


ヤンバルの森も人も動物も、毎日、独特の超低周波、振動、圧迫感、熱風、そして命の危険にさらされているのです。


映画の中で『ヘリ基地反対協議会』代表の大西輝雄氏が、沖縄防衛局に抗議します。
「日米両政府にいじめられても、沖縄県民がアメリカ人を殺めたことはない。婦女暴行されて、ジェット機は落とされ、ヘリコプターは落とされ、それでも耐えているんだ」


デモの人たちから米軍基地を守ろうと立ちはだかった若い警察官にデモ隊のなかのおじさんが叫びます。
「いつまでうちなんちゅう(沖縄県民)同士が戦わなければならないんだ!」
ゲートの金網の向うに並んだ若い米兵たちは、ガムを噛みながら日本人同士の戦いを笑いながら見ているのです。


普天間基地オスプレーを配備させまいとゲート前に座り込んだ人々が、次々と警官にごぼう抜きされていきます。
老人に対しても女性に対しても手加減ありません。
報道カメラマンも追い払われ、抗議しますが問答無用です。
ゲート前にずらりと並んだデモ隊の車が、次々とレッカー移動されて行きます。
金色に髪を染めた若い女性が車の窓から顔を出し、警官隊をにらむように、沖縄の人特有の大きな美しい目に悲しみと怒りを込めて、叫ぶように沖縄の歌を歌いながらレッカー車に引かれて行きます。


この映画を見ながら、私は何度涙をぬぐったでしょう。
あまりにも悔しい、あまりにも切ない、あまりにも悲しい沖縄の現実。
これが日本政府の正体です。
政府の方針に反対したら、左翼だとか、偏向しているとか、共産主義だとかいうのは、間違っています。
反対意見も尊重されてこそ民主主義です。
スラップ裁判なんか起こす日本政府は、民主的じゃありません。
沖縄の問題は、日本の人民すべての問題です。


人民を軽視するから、日本政府のメンツ、「信用」の為に、働けない老人や赤ん坊も入れて、国民一人当たり800万円以上の借金があり、福祉予算がどんどん削られ、国民があえいでいるのに、問答無用で2500億円以上の国立競技場を作ろうなんてしているのです。
日本人は、ギリシャの事、対岸の火事だなんて見てられるのでしょうか?


憲法学者違憲だと言い、日弁連も反対しているのに、そして毎日のように国会前で『戦争法案反対』のデモがなされているのに、耳もかさず、問答無用で自衛隊派遣法を何が何でも成立させようとしている安倍さんは、アメリカと一緒に戦争したいんですね。
ご自分は安全な所にいらっしゃるからね。


私は嫌ですよ。子供も孫も、自衛隊員も、誰一人戦場に送りたくありません。


日本国憲法より米軍の軍規の方が優先される国は、植民地です。
日本国民の利益よりも米軍の利益が優先される国は、植民地です。


日本はどうしてこんなにも情けない国になってしまったのでしょうか?
何時になったらアメリカから独立できるのでしょうか?


沖縄の人の戦いに学ばなければなりませんね。
「ヘリパッドいらない住民の会」のメンバーが作った歌より

(前略)
私たちはできる 歩くことが
あきらめないで夢をみよう
無理しないで歩こう
楽しく 楽しく
楽しく出会いはじめる


戦争中も、米軍の占領下にあっても、返還された後も、沖縄の人々はずっとずっと戦い続けてきて、苦しい中でも歌を忘れず、励まし合っているのです。
こんな素晴らしい人々をこれ以上苦しめたくはありません。
何とかして少しでも苦しみを軽くしてあげたいと心から思います。


この沖縄の現実を一人でも多くの人に知ってもらうために、自分にできる事はないかと、今模索しています。



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