福島にご実家のある知人から、とっても怖い話を聞いた。
彼女のご実家は郡山市に近い、原発から60キロメートルぐらいの所なのだそうだが、避難区域ではなかったため、事故後もその村の人々は農作業を続けていたという。
そうしたら、今年になって、近所の人や親せきや家族が、次々と血管系の病気や呼吸器系の病気になっているのだそうだ。
彼女の弟さんは、今年に入って呼吸器の病気で手術したのだとか。
彼女の親戚のおばさんが、側頭部ナントカ(病名を聞いたが覚えられなかったので、ごめんなさい)というめずらしい、血管系の病気になって入院したら、隣のベッドに寝ていた人もその同じめずらしい病気で入院していたのだという。
彼女いわく、「そんなめったにない病気の人が、近所で、しかも同時期に二人も出るなんておかしい」と。
亡くなる方も多く、その村で今年三人赤ちゃんが生まれたのだが、その内の一人は亡くなったのだそうだ。
普通の年の2倍くらいは亡くなっている感じがすると彼女は心配していた。
そして福島県では、風評被害を恐れてか、死亡人数や死亡原因の調査は行っていないというのだ。
彼女の話がどこまで真実を語っているのか、調べてみなければわからない事だが、今頃になって『あの時は実は…』という話が多すぎる。
原発の事故処理をしている作業員の被ばく隠し問題や危険な作業のやらせ方など、今頃やっと取り上げられるようになったし…。
今までの政府や東電の隠ぺい体質を考えると、彼女の心配を、根拠がないと否定できない。
本当だったら非常に怖い話だ。
12月16日は東京都知事や衆議院議員選挙の投票日だ。
私はやはり政治家や政党の原発に対する考え方を、選ぶ時の第一の基準にしたいと考えている。
原発推進派の人々は、人の命よりも物質的豊かさ選んでいる人たちだからだ。
そしていざ自分の身が本当に危なくなったら、そういう人たちは財力や権力を駆使して、真っ先に逃げるのだろう。
逃げられるからこそ、原発があっても自分は安全だと思っていられるのだから。
歴史を見れば、いつの時代も大きな犠牲を払わされるのは庶民だということがわかるだろう。
庶民はこれ以上、犠牲になってはいけない。
神は我々人間に必要なものを全て与えて下さっている。
それなのに人間が飢えるのは、必要以上に安楽な生活を求めたり、富を独占する者がいたり、富の奪い合いで戦争をするからだ。
私たちが生きるために必要なものはほんの少しでいい。
幸福や不幸は物質的豊かさとは関係ない。
世界中の貧しい国々の人々を見れば分かるだろう。
彼らの生活は大変そうだが、不幸そうには見えない。
不幸そうに見えてしまうのは、戦争をやっている国の人々、貧富の格差がはなはだしい国の貧しい人々だ。
(それだって、人によっては心豊かに暮らしているのだろうけれど…。)
強い者、持てる者が、弱い者、持たない者を支えて行けば、飢えることはない。
ミサイル一発にかかる費用で、どれだけの人間を養えるのか、考えてみてほしい。
命より大切なものはない。
今度の選挙は、日本を、命や人権を大切にする国に向かわせるのか、これまで通りの、弱者切り捨ての、物質主義の国に向かわせるのかが問われる選挙になると思う。
どうか、どうか、皆さん、しっかり考えて、自分の権利を、平和で安全な未来のために、子供たちの未来の為に行使してください。
くれぐれも棄権なさいませんように。
あなたの一票は重いのです。
北千住のスピリチュアルな占い師 安 寿