安寿の小径

北千住のスピリチュアルな占い師 安寿のブログ http://anju.cho88.com/

大凶の日

占いは、年、月、日の三つの運気を重ねて占います。


大雑把ですが、分かりやすくお天気に例えてみると、年運が雨のような天気でも、月運が晴れ、日運が晴れなら、その日は時々薄雲がかかる程度で、まずまずの晴天。
年運が雨で月運も雨。日運だけが晴れなら、晴れ時々曇り程度。
年月日そろって雨なら、その日は土砂降りの雨という感じですかね。
実際には、年運、月運、日運、それぞれ意味がありますし、雨、曇り、薄曇りなど、実際の運勢判断はかなり複雑になりますが。


私は毎年新しい手帳を買うと、その年の毎日の運勢を全てその手帳に書き込みます。だから毎日チェックすればいいのでしょうが、実際にはあまり見ません。
運、不運は神様のお計らいで、どのような事も甘受してそこから学ぼうというのが、私の基本姿勢ですから、何か起こった時に自分がどれだけ冷静に受け止められるか知りたいので、前もって明日はどのような運勢か見ることはしていません。


ただ、占いがどれだけ当たるのか、このような運勢の時にはどのような事が起こるのかという事には興味がありますので、何かあった時には、今日はどんな日だったのだろうとチェックします。


で、先日、私は年運が曇り、月運、日運が土砂降り雨というような悪い運気の巡りあわせの日を迎えました。
やっぱりその日は何かありますね。


我が家の老猫クロちゃんが家を出たまま1時間が過ぎても帰ってこないのです。
雌猫のせいかとても臆病で、私が付いていない時は、外に出てもすぐに帰って来てしまうのです。
なかなか帰ってこないと思う時は、外階段の所で、まったり寝そべって日光浴したり、涼んでいたりする程度の『箱入り猫』?なのです。


ただ田舎育ちで、家の中と外を自由に行ったり来たりして育ったので、たまに外に出たがります。
特に、私が外出しそうな気配を察すると、それまで寝そべっていたくせに、行かせたくないのか、急に外に出たがることが多いのです。
近所の用足しなど、すぐに帰ってくる時は、外に出してやります。
が、その日は週に一度、私が池袋に仕事に行く日で、夜遅くまで帰ってこない日でした。


どうしようか迷ったのですが、仕事に行くまでには一時間くらいあるし、私が仕事に出かけてしまうと、一日中部屋の中にいなければならず、ちょっとかわいそうだと思い、外に出したのです。


外に出ると、猫は道の真ん中に寝そべって、気持ちよさそうにしていました。


しかし、私がゴミを出しに行って戻ってくるほんの1,2分の間に姿が見えなくなったのです。
でも、いつも通りすぐに戻ってくるだろうと高をくくっていたのですが、30分過ぎても戻って来ません。
仕事に行く時間が迫っています。
太陽もギラギラと輝き、こんな炎天下、どこをウロチョロしているのやら、ちょっと心配になりました。
恥ずかしさも忘れて、名前を呼びながら、近所を探し廻ったのですが、気配もありません。


ぎりぎりまで待ったのですが、諦めて出かけようとした時、ちょうどノラ猫のボランティアをしている奥さんが通りかかりました。
すぐに彼女を呼び止め、事情を話し、もし見つけたら、猫の部屋の鍵を開けておくので、そこに入れてくださいとお願いして、後ろ髪を引かれる思いで電車に乗りました。


電車の中では、友人に教わったおまじないの言葉を唱え続けました。
小倉百人一首のなかの歌だそうで
『 たち別れ いなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば 今かへりこむ 』
という歌です。


彼女の家の猫が家出した時、知人に教わったこの歌を紙に書いて貼っておいたら、数日して、その紙の前に家出した猫が座っていて、彼女は本当にびっくりしたそうです。


私もワラにもすがる思いでその歌を繰り返していました。


仕事場に着いて、さっそくその日の運勢を手帳でチェックすると、『大凶』と言ってもいいような日ではありませんか。
猫は元黒猫で、今は白髪でグレーになっています。
道路と同じような目立ちにくい色なので、いつも交通事故を心配するのですが、どこかで交通事故にでもあっていたらどうしようと、早くも涙目になってしまいます。


何事もない平穏無事な日ごろは「全ては神様の御心のままに」とか
「どんな結果になっても、神様はいつも、私たちにとって一番いいものを与えて下さるのだから、私たち人間の目にはどんな最悪な事態に見えても、どんな事でも甘受しなければ」と決意を固めていたはずの私です。
それを実践する時がやって来たのだと心配を追い払い、悪い想像を打ち消しつつ、おまじないを紙に書いたり、無事を祈ったりしていました。
でも修行の足りない私は、何となく落ち着かず、食事の時間になっても、その気になれませんでした。


昼を過ぎたころ、ボランティアの女性から、ご近所の車の下にいた猫を無事保護したとの連絡が入り、感謝、感謝です。
おまじないが効いたのでしょうか。
祈りが通じたのでしょうか。
とにかく、無事でやれやれです。


胸のつかえも取れ、やっと食事に行き、さあこれから仕事だと張り切ったのですが、お客様がさっぱり来ません。
結局その日は、本当に珍しい事ですが、お客様がゼロでした。


『なんて日だ!』ですが、でも、とにかく猫ちゃんも無事で、私も、仕事の往復も支障なく、ケガもなく無事我が家に帰ってこられたので、大凶の日としては、この程度で済んで、本当によかったと思いました。


クロちゃんは少し前まで、私が帰るとお出迎えして、すり寄って来たものですが、御年19歳の老猫ともなると、寝そべったまま顔だけこちらに向けて「ニャア」と鳴けばいい方で、大体知らん顔です。


この日も玄関を開けた私をチラリと見て、テーブルの上に寝そべったままです。
お猫様の無事な姿を見た私の方が感激して、靴を脱ぐのももどかしく走り寄る始末。


確か、幼い息子が迷子になった時、安堵した後で急に怒りが込み上げてきたんじゃなかったかしら。
この差って何?
まったく、猫って不思議な生き物です。
この心のつかまれようは何?


とまあ、この日一日、朝からジェットコースターみたいに上がったり下がったり、色々な思いを経験しました。
でも、終わりよければすべてよし。
結構幸せを感じた日になりました。


大凶の日といっても、恐るるなかれです。
何事もない人もあるでしょうし、ちょっとした心配事や、困ったことがあるかもしれませんが、そんな日があるから、平穏な日常に感謝できるし、また自分の至らなさを思い知る事ができるのですから。
人間にとって大凶の日は、とても意味深い、やはり必要な日なのです。




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