安寿の小径

北千住のスピリチュアルな占い師 安寿のブログ http://anju.cho88.com/

『ペコロスの母に会いに行く』を見て

たいへんご無沙汰してしまいました。
3月末に自宅前で転び、右ひじを痛めてしまい、しばらく右手が不自由でした。
やっと暖かくなり、ケガもよくなりました。

ご心配頂き、本当にありがとうございます。
慌て者の自分を反省し、今後骨折などの大けがをしないように、ゆっくりした動作を心がけようと思っています。



さて先日、飯田橋ギンレイホールで『ペコロスの母に会いに行く』という映画を見てきました。


岡野雄一氏の実体験を基にした漫画を映画化した作品で、テレビのドキュメンタリー番組にもなりましたし、テレビドラマにもなったので、ご存知の方も多いと思いますが、認知症になってしまった母親とその息子の心暖まるコメディです。


ペコロスというのは小さな玉ねぎの事だそうで、岡野氏は自分のハゲ頭を少しも卑下せず、自分の特徴の一つとしてかわいい玉ねぎに例え、息子を忘れた母親に息子を思い出してもらう手段にもするのです。


同じグループホームに入所している人の息子さんを竹中直人さんが演じています。
その人とペコロスさんはいろいろな点で好対照。
サラリーマン生活の合間に漫画を描いたり、ライブをやったり人生を楽しんで生きているペコロスさん。
研究研究であまり人生を楽しんでこなかった竹中直人演じる人。
その人はカツラをかぶって、自分のハゲを必死に隠そうとしています。
しかし、ホームでペコロスさんと交流するうちに、ペコロスさんの、ハゲを恥じない生き方、自由に人生を楽しんでいる生き方にだんだん感化されていくのです。
そのあたり、さすが竹中さん、とても上手で、すごく面白かったです。


自分の不満足な部分を一番気にしているのは周りの人ではなく、実は自分自身なんだと、笑いながら気付かされました。
日々の生活の中で、ありのままの自分を受け入れて、自然に素直に生きることは案外難しいものです。
竹中さんの演技に我が身を振り返って、笑っていられない自分に気づきました。
心の自由を取り戻すために、マイナス部分も受け入れて、自然体で生きなくちゃと改めて感じました。


マイナス部分というのは、自分の欠点の事ばかりではありません。
日常生活上の、思うようにいかない大小様々な出来事、困難な問題も含みます。


どうして自分だけが損をするんだとか、どうして自分だけが苦しむんだとか思っている内は受け入れていないのです。
腹を立てたり、困った困ったと途方にくれたり、回避しようとしたりしないで、起こってしまった事は仕方がないと覚悟を決めてしっかりと受け止め、最善を尽くそうという気持ちで積極的に受けとめなくてはただただ苦しいばかりで、なかなかその状況から抜けられません。


認知症という病気に対しても、恐れるばかりでは自分の成長になりません。
私の両親も認知症になり、長姉も現在軽い認知症ですから、私も候補生です。
認知症と宣言されたその時はジタバタしないで受け入れようと思います。


認知症と言えば、次第に記憶が混乱してゆき、徘徊したり、暴力を振るったり、排せつ物をなすりつけたりなど、介護する人々に大変な苦しみを味わわせる怖い病気という、否定的な部分に焦点が当たり、そのため多くの人は認知症になるのを怖がっています。


そんな中で、この映画は認知症を暖かい目で描いています。
次第に変化してゆく母親に戸惑い、困惑しながらも、その変化についてゆこうと積極的に向き合っている息子の愛情がユーモラスに描かれています。


このお母さんは昔さんざん夫で苦労したのですが、認知症になってからは、苦労を掛けた亡夫が大きな慰めです。
夫がしょっちゅう遊びに来るとか、自分を心配して手をこんな風に握ってくれたとか嬉しそうに話す母親を見て、ペコロスさんは認知症になるのも悪い事ばかりではないと思ったりするのです。


認知症になっても症状は人様々。
恐れるような症状になる人ばかりではありません。
私の父母は認知症でしたが、ひどく困るほどの症状が出ない内に亡くなりました。
デイケアーサービスに通っている長姉は、初め通所を嫌がって姪も手こずりましたが、今は安定していて「毎日車で迎えに来てもらって、温泉に行っているの」と喜んでいます。


病院で母の隣のベッドにいたおばあちゃんは、女学生時代にワープしていて、病院を修学旅行先の旅館だと思い込んでいました。
私も女学生になって、母を見舞うたびにそのおばあちゃんとおしゃべりを楽しんでいました。
そのおばあちゃんは実は大腸がんで重篤だったのですが、あまり苦しい様子もなく、私が顔を出すとちょこんとベッドの上に正座して、ニコニコとお話ししてくださいました。
下血しても「私、旅行中なのに月のものになっちゃって。」と乙女のように恥ずかしそうにおっしゃって、深刻な心配とは無縁でした。
上品でかわいらしい方でした。


病気が進行すれば、自分の事が何もできなくなるのはどんな病気も同じです。
弱った時、身体の自由が利かなくなった時には、隠しようもなくその人の本性が表れてしまうのも、同じだと思います。
認知症だけを、特別に恐れる必要はありません。


自我が壊れて自分を取り繕う事ができなくなった時に表れるのは、その人がそれまで積み重ねてきた生きざま、考え方、思いに違いありません。
そしてそれは、あの世に行った時も同じなのです。
あの世では、自分の想念がそのまま表れてしまうといいます。


私の人生、収穫の秋は過ぎつつあり、冬の季節に差し掛かっています。
余計な枝葉を落として冬支度です。
いつ本性むき出しの素の自分になってもいいように、これからも毎日、しっかりと魂を磨いていかなければならないと気持ちを引き締めているところです。



               北千住のスピリチュアルな占い師     安 寿