安寿の小径

北千住のスピリチュアルな占い師 安寿のブログ http://anju.cho88.com/

クモからのスピリチュアルメッセージ

祈りと瞑想は、守護霊や守護神と対話するために必要な車の両輪みたいなもの。


祈りによって私たちは、守護霊や守護神に、感謝の気持ちを伝えたり、質問したり、願いなどを伝える。


瞑想は、心を鎮めて自分と向き合い、守護霊や守護神からのメッセージを頂く。


しかし実は、守護霊や守護神は、瞑想するしないに関わらず、常にあらゆる方法で、全ての人にメッセージを送ってくれている。
普通の人は、それと気づかないだけだ。


スピリチュアリズムに全く関係なく生きている人も、その人にとって大事な事であれば、よほど我欲の塊になっていない限り、インスピレーションのような形でメッセージを受け取っている。


スピリチュアルに目覚めた人は、瞑想して、はっきりと自分の守護霊や守護神からメッセージを受け取ることを心がけるだろうし、また、日常生活の中でも、感覚を研ぎ澄まして、小さなことからも、メッセージを感じ取ることを習慣化するだろう。


スピリチュアル的観点から言えば、この世に偶然はない。
だから、自分の身の回りで起こることはすべて必然であり、自分にとって、何か意味のあることなのである。


従って、その中でも特に気になったことには、強いメッセージ性があると考えるのだ。


日常生活の中で、何か気になることが有ったら、そのことについて、よく考えてみる癖をつけると良い。
勘のいい人なら、そこから何かメッセージを受け取れるに違いない。


難しく考えず、素直に解釈すればよいのだ。
分からないときは、気になったことをノートにメモしておく。
すると後で分かることもある。



例えば、先日、私はクモからメッセージを頂いた。


なかなか借り手がつかず、空き家になっている貸家の玄関先を掃こうと思い、門を開けて掃除道具を取ろうとした途端、大きなクモの巣に顔から突っ込んでしまった。


クモの巣はベタベタしているんだと思っていたが、そうでもなく、顔に張り付きもせず、慌てて顔を離したら、破れもせず、ビヨヨ〜ンと元に戻った。


意外としっかりしていて、極細のゴムで出来た弾力のあるネットに顔をひっかけたみたいな感じだった。


クモの巣って、こんなに丈夫なんだとびっくりした。


巣の中央に、クモさんご本人と、ぐるぐる巻きにされた獲物が引っ掛かっていなくて、虫嫌いの私には幸いだった。(守護霊様たちのお慈悲ですね)


こういうちょっとショックなことは、必ず何かのメッセージなのだ。


最近心に引っ掛かっていることはないか、ちょっと考えてみた。


あるある。
最近私がひどく執着している事が有って、執着心が手放せず、神様にお任せすることができないまま、すごく短気になって、無理やり手に入れようとしては失敗するというようなことを繰り返していたのだ。


釣り糸を垂らして、魚がかかるのを待っていればよいものを、釣竿で、魚をひっかけようと川の中をかき回しているような自分に気付いた。



そんな私に、クモからのメッセージ。


『あなたはスピリチュアリズムの勉強をしているようですが、理論ばかりで、実践の方はまだまだですね。

あなたの短気さは相変わらずで、待つことが苦手です。今は待つ時ですよ。
私のように辛抱強く待つことを学んでください。


神様はどんな小さな生き物にも、必要なものはすべて与えて下さいます。
必要なものなら、必ずあなたにも与えて下さるのですから。
神を信頼して、ただ待ちましょう。
待てないあなたは、神様への信頼が足りないのです。


余裕をなくしたあなたの堅い心を、この私の巣のように、丈夫で繊細で、しなやかになさい。
あなたの欲しいものが飛び込んできた時、しっかり受け止められるようにね。』


と、まあ、こんな風なメッセージを感じ、大いに反省したことは言うまでもない。


夜中に土砂降りの雨が降った翌朝、クモの巣は水滴を宝石のようにきらきらと朝日に輝かせて、しっかりその存在を主張していた。
そして巣の真ん中には、1センチほどの真っ黒なクモが、『オレの巣は、どんなもんだい』と自慢げに陣取っていた。


あんな小さなクモにとって、あの雨は過酷だったろうに、天を恨むでもなく、全てを受けいれ、健気に巣の点検をしている。


暑いの寒いのと、何かにつけて文句の多い自分がちょっぴり恥ずかしくなった。


神様の差し出してくださるものは何でも受け取り、神様の必要となさっているものはなんでも差し出せる自分を目指さなければと、猛省した次第である。



      北千住のスピリチュアルな占い師   安 寿