安寿の小径

北千住のスピリチュアルな占い師 安寿のブログ http://anju.cho88.com/

遠藤周作著『イエスの生涯』を読んで 本当の信仰心とは?

ある猛暑日、少し涼もうと近くの本屋さんに飛び込み、遠藤周作著『イエスの生涯』という本と出会いました。

 

ずいぶん昔、まだスピリチュアルリズムと出会う前、遠藤氏の『沈黙』を読んだ事があって、踏み絵を拒んだ勇気ある信者たちが、ひどい苦しみの中で殉教していくのを、なぜ神は黙って見ていらしたのか、ずっと心の隅に引っ掛かっていたので、この本と出会ったのでしょう。

 

人が神や仏を信じるのは、神や仏によって、現実の苦しみから逃れたい、救われたいからというのが一般的な考え方でしょう。

 

エスのもとに集まってきた人々も、イエスに現実の苦しみを救ってもらいたくて集まってきました。

そしてイエスは、目の見えない人の目を治し、歩けなかった人の足を治すなど、数々の奇跡を行い、救世主と崇められるのですが、群衆のイエスに対する期待はどんどんエスカレートし、イスラエルをローマの支配から解放するための救世主となることまで期待するようになります。

 

エスが伝えたいのは本当の救い、神の愛なのですが、彼の弟子たちを含めて、一般の人々が求めるものは、奇跡によって、現実の苦しみから解放されることだけなのです。

 

『神の愛の神秘』は直接人々を現実の苦しみから救い出すことにはありません。

現実の苦しみによって人は鍛えられ、魂を磨かれ、自分の霊性に気付いて行くのですから。

神の愛は、苦しみを背負った私たち一人一人を見守り、励まし、力づけ、慰め、時には癒し、一人一人がちゃんと重荷を背負いきるまで寄り添い続け、見届けて下さることにあるのです。

 

スピリチュアリズムを勉強した今だから、『神の愛の神秘』が多少なりとも分かりますが、今よりずっと過酷で残酷な時代に生きていた人々にとって、神に現実の苦役から逃れるための救いを求めるのは当然だっただろうと思います。

 

『現実的な効果』を強く求める人たちに『神の愛』を伝えるのはとても難しく、イエスの苦悩は深くなってゆきます。

 

エスが奇跡をおこなわず、群衆の期待にも応えないと知ると、群衆は離れて行き、弟子の多くも去り、残った数人の弟子と預言者エスを迎え入れてくれる場所はなくなって行きます。

 

残った弟子たちも『確かにイエスに対する期待を半ば失っていた。』と遠藤氏。

『彼等がイエスの愛の思想を理解してその弟子になったと考えるのは間違いである。』と。そして更に遠藤氏は、彼らはイエスを『神の子』とも考えていなかったと言います。

 

エスは自分が逮捕され、処刑されるのを知っていました。

そしてその時、弟子たちが自分を裏切るのも知っていました。

 

果たして、ユダの裏切りにあってイエスが捕らわれた時、弟子たちは師を捨てて逃げたのです。

『要するに彼等は我々と同じように、よき話を聞こうという気持ちは多少あっても、信念弱く、肉体的恐怖のためには師も犠牲にする卑怯な性格があり、そのくせ自惚れと世俗的野心のみ強いという平均的人間だったのである。(中略)

そのような弱虫――少なくとも強い信念の所有者ではなかった――彼等がイエスの死後、なぜ目覚め、たち直り、イエスの真価を初めて知ることができたのか、なぜ彼等が内部的な変貌をとげて、弟子から使徒に変わることができたのか。』

エスの死後、その弟子たちからイエスは『愛のメシア』として仰がれるようになるのです。そこに遠藤氏はイエスの『復活』が関わって来るのではないかと推理していますが、その謎については、ぜひこの本をお読みください。

 

人々の期待する救世主となることを拒否して後のイエスは、奇跡をおこなわず、力なく無力に見え、一時はメシアと自分を称えた群衆が、今度は彼を嘲笑し、唾を吐き、兵士たちの鞭を受けるようになるのです。

 

『だが我々は知っている。このイエスの何もできない事、無能力であるという点に本当のキリスト教の秘儀が匿(かく)されていることを。そしてやがて触れねばならぬ「復活」の意味もこの「何も出来ぬこと」「無力であること」をぬきにしては考えられぬ事を。そしてキリスト者になるというのはこの地上で「無力であること」に自分を賭けることから始まるのであるということを。』

 

『なぜなら愛というものは地上的な意味では無力、無能だからである。(中略)イエスはこの十字架で無力であることによって、愛のシンボルに、愛そのものになっていったのだ。』

 

「主よ、彼等を赦したまえ。彼等はそのなせることを知らざればなり」

エスは十字架の上で苦しみつつなお、彼に苦しみを与えた人たちのために祈り、神に許しを請うのです。

 

エスが十字架の上で最後に言ったという言葉

「主よ、主よ、なんぞ我を見捨てたまうや」

この言葉だけを聞きかじっていた私は、イエスが神を恨んだまま亡くなったのかと勘違いしていました。

でもこの言葉から始まる詩編第22編は続きがあり、神の賛美へと続くのです。

そして詩編第31偏へと転調していったのだそうです。

「我、わが魂をみ手に委ねたてまつる。

主よ まことの神よ

汝は我をあがなわれたり」

 

エスは人間が味わう全ての苦しみを背負い、その重さに耐え、それでも神を信頼しすべてをゆだねました。

父なる神は苦しむイエスをじっと見守り、最後にその苦しみをあがなわれたのです。

 

これが神の愛であり、信仰なのですね。

 

信仰するというのは、神様から現世的に、物質的に助けていただく事を願うのではなくて、弱い自分、無力な自分を見守り、支え、ぴったり寄り添っていただいている神を信頼し、自分をゆだねる事なのですね。

 

家族や自分の健康の問題、将来のことなど、この世にいる限り、お金がいくらあっても、不安からは解放されません。

しかし神を信じれば、不安は無くなります。

 

どんな苦しい現実が押し寄せようと、自分の苦しみを100%分かってくれる存在がいる、どんな時にも自分を見守り、寄り添ってくれる存在がいる、頑張れば、最後には必ずあがなってもらえると信じられるだけでずいぶん人は強くなれるのじゃないかと思います。

 

カルマも罪も無い神の子イエスが味わった不条理や屈辱や苦痛を考えれば、たいていの事は我慢できそうです。

また一段と信仰心が深まり、不安の影も薄くなりました。

この本に出会えた事に感謝です。

 

 

 

            北千住のスピリチュアルな占い師  安 寿

神様、仏様と出会うには

蒸し暑い日が続いていましたが、今日は久しぶりに昼間でも気温が25度くらい。

湿度は高く、まだ少し蒸し暑い感じは残っていますが、それでも『干天の慈雨』のようなホッとできる一日となりそうです。

 

東京都台東区清川にある、行場を失った方、家のない方たちのための在宅ホスピスケア施設『きぼうのいえ』からニュースレターが届ききました。(2019年号外)

 

『きぼうのいえ』を創設された方がキリスト教なので、礼拝堂もあるのですが、実際には亡くなった方のご希望によっては仏教のお坊さんにお経をあげていただく事もある、宗教には拘らないホスピスです。

 

職員の皆様はもちろん、ボランティアの方々の心のこもったお世話と、温かい愛情に包まれて、今迄で198名の方があの世に旅立たれたそうですが、今回、長野にあったお墓を、同じ清川にあるお寺さんにお引越しするそうで、そのお知らせのニュースレターを頂いたのです。

亡くなった皆様も、またなじみのある土地、優しいスタッフさんの傍に戻られて、喜ばれると思います。

 

そのニュースレターの中に、素敵なお話がありましたので、転載させていただきます。

 

「あんパンが食べたい!」Nさんの再三の希望に応えて用意した。のど詰まりが心配なので、ここはつぶあんではなくこしあんをセレクト。半分に切って差し出す。さすが100円のパン。あんこがいっぱいつまっているとはいかぬ。切り口はぽっかり空いた洞窟のよう。

Nさんはしばしその空洞の底にへばりついている白いあんこを眺め、「あぁ」とため息。さては期待外れだったか。おもむろにかぶりつくNさん。見守る私たち。一口目をゆっくりとお茶で流し込み、「あぁ」とまたため息。手にしたあんパンを見つめて何か言いたげ。

もはや、のどが詰まることよりも、あんパンの感想が気になる私たち。Nさんは唱えるようにのたもうた。「神様も~、仏様も~、この中にいる~。」

               きぼうのいえニュースレター2019年号外より

 

『きぼうのいえ』にたどり着くまで、Nさんの人生は厳しいものだったに違いないと思いますが、今は神様、仏様に出会えて、本当によかったですね。

Nさんの食べたあんパンは、どんな高級なものより、本当に、本当に、おいしかったのだと思います。

 

心から感動し、感謝した時、人はそこに神様や仏様を見出す事ができます。

一生に一度でもそんな経験ができた人は、幸せです。

 

Nさんを失望させることが残念で、固唾をのんで見守っているスタッフさんたちの優しさが有ったればこそ、Nさんは神様、仏様と出会えたのだと思います。

Nさんの穏やかな人生をお祈りすると同時に、マザー・テレサの志を引き継いで日夜頑張っていらっしゃるスタッフの皆様のご健康とご活躍をお祈りいたします。

 

私も生きている限りは、ささやかな応援を今後も続けさせていただきます。

どうぞ、『きぼうのいえ』に関心を持たれた方がいらっしゃいましたら、ご支援よろしくお願い致します。

 

 

 

 

              北千住のスピリチュアルな占い師   安 寿

 

 

ご縁を大切に

相変わらずの猛暑が続いていますが、さすがに空気が少し乾燥してきて、秋の訪れの近さを感じるようになりました。

 

老猫も何とか頑張っていますが、最近前にも増して怪猫っぽくなってきました。

この猫には何か見えるのか、虚空を睨んでは「シャーァ」と威嚇したり、或いはどこか具合が悪いのか、不気味な唸り声を発することも多くなってきました。

先ほどは、はっきり一声「ワン」と鳴いたので、びっくりです。

犬にでも化けるつもりなんでしょうか(笑)

 

最近お盆の里帰りが変化していて、夫の実家には妻は同行せず、息子と孫だけの里帰りの傾向が増えているという新聞記事を読みました。

 

夫の実家には夫と子供だけが行き、妻の実家には妻と子供だけが行く傾向が出てきたという記事を、何年か前に見たことがあります。

別に喧嘩しているわけではないけれども、お互いに余計な気を遣わなくて、楽なんだとか。

 

どんな形を選ぶのかはその家族が自由に決めればいい事で、余計なお世話なのですが、スピリチュアル的に見れば、せっかくのご縁を勿体ないですねという事になります。

 

配偶者の家族には、自分の育った家の家風とは違うものが有ります。その違いを経験するのが配偶者を理解する一助ともなりますし、自分の成長にもつながります。

 

更に、ご縁は生きている人たちばかりではありません。結婚すれば、相手のご先祖様ともご縁がつながるのです。

 

家族や親族は愛憎も深く、お互いの学びも多いので、意外と狭い範囲で生まれ変わっている場合が多いそうです。

 

現世で憎き姑だった人が来世では子供になって、自分の至らぬ点に気付かせてくれたり、現世で手を焼いた夫が来世では親戚の良い伯父さんになって、何かと援助してくれたり、現世で作ってしまった因縁を解消するために、来世でまた出会うのでしょうね。

 

来世で良い関係になりたかったら、現世で頑張って良い関係を作っておかなければなりません。

家族や親族は特にそうですが、周囲の人たちに対しても人間関係は、なるべく大切にした方が、来世で幸せな出会いが増えるというものです。

 

つまり、『袖擦り合うも他生の縁』で、現世で出会った人たちとは偶然に出会ったのではなく、なんらかの縁によって出会っているという事。

だからまた来世でも出会う可能性ありなのですから、よく考えれば、どんな人間関係も、おろそかにはできないという事です。

 

他人でもそうなのですから、婚姻関係にある相手の親族とは、少なからぬご縁で結ばれているはずです。

お互い、理解できなかったり、気疲れしたり、気が合わなかったり、なかなかうまく行かない場合もあるかもしれませんが、全てお互いの成長に必要な学びのための出会いだと考えて、赦し合い、受け入れる努力をしてみてはいかがでしょうか?

 

面倒を避けて人と関わり合わなければ、その分波風も立たず、苦労も少ないでしょうが、喜びも少なく薄っぺらな人間関係で終わってしまいます。

感動も少なく、喜びも小さいのです。

 

なぜなら、人は助け合い、支え合って生きるように、人の中で成長して行くように、神によって創造され、それが人の、真の幸福への道だからです。

 

 

 

              北千住のスピリチュアルな占い師   安 寿

 

 

我が家のニャロメ!

雨ばかりで涼しい日が続いていたのに急に猛暑に変わり、老人にはきつい毎日ですが、今日も私はジムに通って、せっせと体力作りです。

我が家の今年23歳になる猫を看取るまで、私は頑張らなければなりませんから。

 

我が家の老猫は、急に餌を食べなくなることが今まで何度か有り、また昨年の暮れには二階の踊り場から落ちたりして、危なかったのですが、いつも見事に復活してきました。

 

しかし7月に入って急に暑くなったころから、またなぜか急に餌を食べなくなったのです。水もほとんど飲まず、排尿も一日一回程度。食べないので排便もなし。

それでも寝たきりではなく、時々『なでてーっ』と寄ってくる元気はあるのです。

 

そんな状態が4日も続き、ケガをして寝たきりになった時より、食べない、飲まない期間が長くなったので、さすがに今回はもうダメかと、私はまたもや落ち込んでしまいました。

 

空調はしているとはいえこの暑さです。

いくらなんでも脱水になってしまいそうで、私は気が気ではありませんでした。

5日目くらいから、一日2回くらいお風呂場まで、水を飲みに行くようになりましたが、後は力なくだらんと寝ているだけで、時々うつろな目でボーッとどこか遠くを見ていたり、寝言のような唸り声をあげているだけです。

 

6日目の夜、息子が猫のいる部屋で焼き肉をして食べようとしていたところ、急に猫が鼻をフンフンさせて、ノッソリと息子の傍に来て欲しそうに座り込みました。

 

味の濃いものは猫によくないのですが、何も食べないよりはましだと、歯のない猫のために、また味を薄くするために、カミカミして食べさせたところ、むしゃむしゃ食べるではありませんか!

 

急にたくさんあげるのは危険なので、少なめしておきましたが、けっこうガツガツ食べるのです。

「え、えぇ!さっきまでのあの死にそうな感じは何だったのよ!」

と言いたくなる程ケロリとして、顔を洗っています。

 

元気になったのだからいいのですけれど、今迄の死にそうな様子から、一変、むしゃむしゃ肉を食べている猫の変わり様になんだか騙された気分です。

顔を洗う手を止めて、「どしたの?」という顔で私を見る猫に「ニャロメ!やられた!」です。

 

それがきっかけになったのか食欲が戻って、今では全く元通り、よく食べますし、よく水も飲みますし、排尿も排便も今迄の状態に戻り、やれやれです。

 

この猫には何度も心配させられましたが、その度に見事復活です。

長生きする猫は、丈夫にできているのですね。

知人宅から15歳で引き取ってまる7年。

病院へは下痢で一回とお尻の腺が詰まって二回、階段から落ちて一回と数えるほどしか行っていません。

 

病院が大嫌いで、バッグに入れるのにもひと暴れ、病院に着くまでもずっと恨めし気に鳴き続け、治療中も、お医者様があきれるほど暴れます。

帰る時だけ、さっさとバッグに入るのですから、「全く、なんて奴だ。」なのです。

本当に生命力にあふれたお猫様に脱帽です。

 

真っ黒だった毛並みは、尻尾と耳のあたりを除いてすっかりグレーになりました。

夜鳴きもさすがに迫力が無くなって来たので、私の安眠は保たれています。

 

何に向かって怒っているのかよく分かりませんが、最近は「シャーッ」とよく怒っています。

 

永く生きた猫は尻尾が二つに分かれて、『猫又』という妖怪になるのだとか。

我が家の猫の尻尾も、そのうち二つに分かれるかもしれません。

 

妖怪でも、化け猫でもいいから、もう少し、一緒にいたいものです。

 

 

 

 

       北千住のスピリチュアルな占い師    安 寿

今年は凶神と同居の年。でも、思い煩うことなかれ!

七赤金星生まれの人(ご自分の星が分からない方は私の過去のブログの九気星占いをご参照ください。)は、今年凶神が同宮します。

同宮というのは同じ部屋にいるという事。

油断すれば凶神の魔の手につかまるという事です。

 

心正しく生きていれ方は何も恐れることはありません。

我が強くなったり、利己的になったり、無理に何かを押し進めようとしなければ、何事もなく過ぎてゆきます。

 

しかし、過去のカルマ的なもので、どうしても経験しなければならないこともあります。

高齢になってきますと、体調不良という形で経験する事も有ります。

 

私も七赤金星、高齢になりましたので、季節の変わり目の3月ごろから、何となく体がすっきりしない日が多くなってきました。

 

健康第一と、食事にも気を付け、ジムにも通い、睡眠にも気を付けるようにしていたのですが、風邪を引きやすく、風邪を引くとすぐに胃腸炎になり、下痢するというような事が。続いています。

 

6月半ばの日曜日、朝、布団から出た途端めまいがして、何かに掴まらなければ歩けない状態になり、その上、頭を締め付けるような頭痛と寒気です。

月曜になるのを待って、すぐ病院へ行きました。

 

診察を受け、血圧も異状なく、血液検査では風邪ではないと言われましたが、念のためMRIを撮る事になりました。

 

まったく、龍神様のお蔭としか思えないのですが、月曜日なのに、診察の後すぐ、MRIを撮れることになりました。

しかも、診察を受けた病院とMRIを撮る病院は同じ経営ですが、別の場所に有る病院なのですから、もうびっくり!

 

一週間後の検査結果にも異状はなく、病名はつかず、様子を見ましょうという事になりました。

でも、不思議なのですが、MRIの強い磁気を浴びたせいか、あの後から締め付けられるような重苦しい頭痛は消えてしまいました。ラッキー!

 

私の自己判断ですが、たぶん、私は自律神経が乱れているのだと思います。

自律神経の乱れでは、免疫力の低下で風邪を引きやすくなったり、目まいや動悸、頭痛、体温調節の乱れ、消化器系の不調など、様々な症状が現れるのです。

どれも私の症状とぴったりです。

 

思いあたる節があります。

飼い猫が年を取ってひどい夜鳴きをするようになり、一昨年から夜何度も起こされる状態が一年近く続き、もうダメだと思い、可愛そうですが、夜は別の部屋に寝かすようにしたのです。

しかし、昨年12月初め、猫が2階から落ちて動けなくなって、介護のため、また夜昼一緒の部屋で過ごすようになりました。

 

今年の1月いっぱいはそうしていたのですが、元気になるにつれ、また夜鳴きがひどくなり、夜は再び別室へ。

なので、睡眠が不十分な状態が長く続いていたのが主な原因だと思います。

 

現代人はストレスや過度な緊張で、副交感神経の働きが弱くなっている傾向が強いのだそうです。

私も夜中に何度も起こされて、副交感神経の働きが弱まったのでしょう。

 

今後、瞑想や呼吸法などで徐々に回復させていきたいと思いますが、このような経験をした事のスピリチュアル的な意味も考えてみました。

 

スピリチュアル的に言えば、目まいの原因は過剰な想像力にあり、自分に起こった事、或いは起こるであろうことに対して、誇張して考えてしまう癖が引き起こすものだと言われています。

 

猫がケガをすれば今にも死んでしまうとうろたえた、悟りとは程遠い、情けない自分を考えれば、老後、認知症になったり、寝たきりになってしまうのではないかと、自分で考えている以上に、無意識の部分では恐れていたのかもしれません。

 

神様を信じていると思い込んでいる割には『明日を思い煩うことなかれ』が実践できていないことに、また気付きました。

もっともっと、自分のすべてを神にゆだね、安心して毎日のなすべき事に専念して行ける自分でありたいと強く思いました。

 

あんな恐怖の体験をして、死にそうだった猫は奇跡的に回復し、動きが少しぎごちなくなり、白髪も増えましたが、よく食べ、しっかり排泄して、撫で方が気に入らないと「シャーア!」と私を威嚇しながら、堂々と生きています。

 

余計な心配をせず、全てを自然の流れに任せて、1日1日をあるがままに生きているお猫様を見らなわなくてはと、反省しました。

 

 

 

 

 

         北千住のスピリチュアルな占い師    安 寿

 

 

龍神様ありがとうございます!

昨日から九州地方はひどい雨で、東京も今日は午前中から雨が降り出しました。

 

歌の会があって、久しぶりの外出です。

会場はバスを乗り継いでいく、交通の便があまりよくない場所です。

特に乗り継いだ後、会場に向かうバスは本数があまり多くなく、いつも10分以上待たされるのです。

 

今日は雨だし、覚悟しなければと思っていたのですが、行も帰りもバスがすぐ来て、乗り継ぎもスムースで、ほとんど待つことなくバスに乗れました。

本当に、龍神様ってすごい。

 

乗り物が順調だったお蔭で、時間に余裕ができ、雨に濡れた新緑の庭園を見ながら、ゆっくりランチもいただけました。

素敵な音楽を聞けて、みんなで歌も歌えて、龍神様のお蔭で本当にハッピーな一日でした。

 

また久しぶりにお客様もいただけましたし、重ね重ねありがとうございます。

また明日もよろしくお願いします。

 

 

 

         北千住のスピリチュアルな占い師    安 寿

 

 

龍神様その後

龍神を身近に感じ始めてから2カ月以上になります。

 

前回ご紹介した本を読むと、なんだかグングン運が上がって、グングン仕事が増えて、どんどんハッピーになって行くというような印象を持たれる方が多いのじゃないかと思いますが、私の場合は今の所、前とそう変わりはありません。

 

今はコミニュケーションを徐々に深めつつある時なのでしょう。

 

隣のお宅が新築工事で壊されて、小学校の大きな桜の木がよく見えるようになりました。

 

私は毎朝窓を開けると、その桜の木を見て龍神に合図を送ってほしいと頼みます。

するとほとんど揺れていなかった枝が揺れ始めます。

てっぺんから揺れたり、真ん中の枝から揺れ始めたり、下の方の枝から揺れはじめたり、まるでかくれんぼみたいに「どこ見てるの。ここ、ここ」という具合です。

 

風のある時は当然木の枝は揺れ続けていますが、じっと見つめていると、その揺れが大きくなる部分が出てきます。

 

「あっ、今日も『雲様』いらっしゃいますね。よろしく!」といった具合に、毎日楽しんでいます。

 

桜の木の枝が全く揺れなくてガッカリしたら、手前の小さな木の枝が揺れていたこともあって、結構いたずらな『雲様』です。

 

この所の暑さのせいで胃腸炎になったり、何かと忙しい日が続いていたせいか、仕事のお客様は減っていますが、これも『雲様』のご配慮なのでしょう。

例の、信号ノンストップ事件から、私の体力を考えて下さっているのだと思います。

 

いくら龍神様が守ってくださっていても、経験しなければならない試練はあります。

そんな時、以前と違って来たと思うのは、気持ちの切り替えや割り切りが早くなったり、諦めが早くなったような気がすることです。

嫌な事が有っても引きずりませんし、前より人に対してもっと寛大になり、親切にしたいと思うようにもなってきました。

 

龍神が常に私を見守っていて下さることへの感謝の気持ちがあるからなのだと思います。

 

後、お金の使い方が上手になりました。

 

私は占いで『回転財』という星を持っているのです。

この星を持っている人は、お金を貯めるのではなく、入ってきたお金を他に回すのが上手な人です。

ですから商売人にはなくてはならない星。

しかし普通の人が持つと、買い物大好き人間になってしまいがち。

 

私も買い物大好きで、つい余計なものを買っては後悔することしきりでした。

 

特に最近、記憶力の低下で、調味料など、あるのに同じものを買ってしまう事がよくあったのですが、ここの所それがありません。

 

また、テレビショッピングや服を買うのが大好きで、ちょっと気にいるとすぐに買っては後悔するという事が多く、反省することしきりでした。

 

安いからすぐ買ってしまうとか、便利そうだからすぐ買ってしまうとか、ちょっと考えてすぐ買うという癖がこの年齢になっても直らず、私の弱点でした。

最近は買い物する時、とても冷静にあれこれ考えるようになりました。

 

それと、なぜか、勘が働くのです。

「これ、いいかな」と思って手にとっても、「あっ、やっぱりいらない」とすぐに気が変わり、そして後で、あの時買わなくてよかったと思う事が多くなってきました。

 

出費も減ってきましたし、本当にいいと思って買ったものは、その後も買ってよかったと思うものばかりで、この年になって買い物の本当の喜びを味わっている気がします。

ピンときて買った服なんか嬉しくて、子供の様に何度も鏡の前で試着するほど気に入ってます。

 

見えないところでがっちりと、龍神の雲様が私を正しい方に導いて下さっているのだと、今日も感謝です。

 

 

 

                                          北千住のスピリチュアルな占い師   安 寿