安寿の小径

北千住のスピリチュアルな占い師 安寿のブログ http://anju.cho88.com/

ヘンリー・D・ソローの最期

27歳の若さで、人里はなれた森の中に家を建て、一人で住み、自給自足、読書と自然を思い切り味わう生活を約2年間続けたヘンリー・ソローという人。すごく純粋で、猛吹雪の中を25キロも歩いて、一本の木との約束を果たそうとする人。
「どのような事も、当たり前としておろそかには出来ず、周囲の世界を旺盛な探究心で眺めながら、他の人々が気付かなかったことをたえず発見していた」ヘンリー・D・ソローという人。
彼の『森の生活』その後を知りたくて、夢中で伝記を読んだ。
読み終わった今、ますますヘンリー・ソローという人に惹かれている。


ヘンリーは「自らの内なる光にだけ従う」徹底した個人主義だったが、だからといってエゴイストではない。「一人の人間が、別の人間の楽しみや都合のために犠牲になったり、服従したりすることを心から憎」み、その頃はまだ、決して評価されていなかった奴隷制度反対運動に関わり、奴隷の逃亡を助けたり、鉄道建設の労働者、貧しいアイルランド人の生活を親身になって援助したりする、正義感の強い優しい人でもあった。


友人のエマソンがヘンリーを「アメリカの機関士の長というより、ハックルベリーを摘む探検隊長である」と言っているが、本当に彼は現世的な地位とか名誉とか財には関心が薄かった。
彼の心を捕らえていたものは大自然であった。
彼ほど自然を愛し、自然を楽しみ、味わい尽くした人は、そう多くないのではなかろうか。

彼は人間嫌いと言われているが、私から言わせれば、とんでもない。先住民インディアンに関心を持ち、キコリや町の問題児ように自由に生きる人、自然の一部として素朴に生きている人たちをとても愛していた。
だから子供たちにもとても好かれた。

ヘンリーが子供たちとベリーを摘みに行ったときの逸話。
一人の子供が、籠一杯に摘んだベリーを、躓いて地面にぶちまけてしまい、ワンワン泣き出した。友達が慰めても、ベリーを分けてもらっても、いっこうに泣き止まない。

その時、ヘンリーがその子に「自然は時々子供を躓かせてベリーを蒔いてもらうんだよ。来年、そこにベリーが生えてくるようにね。」と言うとその子は泣きやみ笑顔になったという。


ヘンリーも子供が大好きで、兄と一緒に学校を経営して、その当時としては斬新な教育を行って評判になった。
たとえば数学を実践で学ばせるために、生徒たちに実際の測量技術を教えた。
後にこのことが彼の生活を助けることとなるのだが…。


ヘンリーはどんなことでも真剣に取り組んだ。
ジャガイモを作れば、家族が冬中食べられるだけの物を作り、メロンを作ればメロンパーティーで、近所の人や友人たちにさまざまなメロンを味わってもらえるほどの物を作り、父の鉛筆工場を手伝えば、アメリカで評判になるほどの鉛筆を作り、測量をやれば、あまたいる測量士の中で一番正確で信頼を得てしまうとか、とにかく、何をやらせてもすごい人だった。


しかし、彼がハーバードを卒業して本当になりたかったのは教師の仕事、講演の仕事、執筆活動だったが、これらの仕事にはあまり恵まれなかった。
彼の妥協しない頑固な性格が災いしていたのかもしれないが。


だがやっぱり彼は本物。彼の死後、150年近く経ても尚、日本の片隅で彼の著作や生き方に感銘を受けている日本人がいるのだから。

その当時、普及し始めた電信柱(当時は木製)を見れば耳を当て、巨大な『風鳴琴』(箱に調律した糸を張り風で鳴るようにしたもの)にして心から楽しんでしまうヘンリーは、人生を楽しむ天才だ。


ヘンリーは大学生の頃から、たびたび結核の兆候を示していたが、毎日、自然の中を4,5時間散策する習慣のおかげか、結核の危機を何度も乗り越えたようだ。しかしついに44歳で結核に倒れてしまう。


死を覚悟したヘンリーは友人に「もう何ヶ月も生きられないと自分では感じています。 ー中略ー これまでどおり生きていることを楽しんでおり、後悔はありません」と語っている。
妹のソフィアも、「ヘンリーは素直に信頼してこの摂理を受け入れ、満足しています」と話している。


医者が苦痛を和らげるための薬を処方しようとした時も、ヘンリーはそれを断り「混濁した頭で過ごすより、苦痛に耐えたほうがましだ」と、投薬を断ったという。
そしてソフィアはまた、「長い病気の間中、彼の口から不平がもれるのをきいたことはありません」とも言っている。


友人の一人は「非常に衰弱していたが苦しんでおらず、かつてのように楽しそうに話しているのに気付いた。」

他の友人は「これほどの喜びと安らぎをたたえて死んでゆく人を一度も見たことがありません」とまで言っている。

人嫌いと言われたヘンリーだったが、友人や町の人々、近所の子供たちが絶えず訪れ、病室は花が絶えることがなく、妹ソフィアによれば、見舞いに来てくれた人々が「彼を元気付けるやり方は、本当に感動的」だったそうだ。


やがてヘンリーは臨終の時を迎え「息遣いは次第にかすかになっていき、わずかな身悶えもなく、亡くなった」
大変安らかなものだったらしい。
ソフィアは「死ではなく、何かとても美しいことがおきたように感じた」という。


まさにヘンリーは大自然からたくさんのことを学び、ついに悟りの境地に達していたのではなかろうか。

全てを受け入れ、最後の最後まで生きることを楽しみ、感謝していた人。

ヘンリーこそ、まさにスピリチュアリズムを実践していた人だと思う。


ヘンリー・D・ソローは、教会に行かなかった人である。キリスト教という一神教ではなく、汎神論的な宗教観を持っていたという。
宗教家ではなかったが、自然を通して日々の生活の中で自然に悟りを啓いて行った人だったと思う。


ヘンリーは言う。「人様に決して私流の暮らし方などまねて欲しくない。 ー中略ー 世の中にはなるべくいろいろな人間がいるほうがよいと思っているからだ。むしろめいめいが、父や母や隣人のではなく、自分自身の生き方を発見し、それをつらぬいてほしいものだ」


地球環境の悪化が叫ばれ、世界的に政治も経済も厳しい状況になり、若者たちが希望を持ちにくくなっている。だから今こそ、もう一度、ヘンリー・D・ソローを読みなおして欲しい。人間が生きるには、何が一番必要なのか、どうしたら喜び多い人生になるのかを、特に若い人たちに考えて欲しいと思う。