安寿の小径

北千住のスピリチュアルな占い師 安寿のブログ http://anju.cho88.com/

おバカな私

北千住駅の西口と東口をつなぐ連絡通路は、自転車専用路と歩行者専用路に分かれていて、歩行者用通路はさらに、車いすやベビーカーなどが通れる坂道と階段に分かれている。


自転車道と階段の通路の間が坂道通路になっているせいか、普段は階段よりも坂道の方を歩いている人の方が多く、私もたいていそちらを通る。

今日、買い物帰り、その坂道通路を降りようとすると、大勢の小学生たちが列を作ってぞろぞろ登ってきた。

二列に並んだ小学生の脇は、人が一人通れるくらいのスペースが空いていたので、私は両手に荷物を持っていたが、体を横にして、荷物が子供たちにぶつからないよう、かなり努力して小学生達とすれ違い、何とか無事坂道を下りた。


しかし、気づいてみると多くの人たちは、小学生を避けて階段通路の方を歩いている。
そうだよねぇ〜。普通そっちを通るよねぇ。荷物もあったのだから、当然、階段の方が楽だったのに、なぜ私はわざわざ坂道を選んだのか考えて、はっと気付いた。

今日の私のとった行動、それはこれまでの私の生き方そのものじゃなかっただろうか。
ちょっと周りの状況を見れば、わざわざ苦労して横歩きしなくても、もっと楽な道を選べたはずである。


私はいつだって、世の中の流れや周りの状況、人の状態を見もせずに、自分勝手に自分が進みたい方に進んできた。台風の中、傘もささずに飛び出して、ずぶぬれになるような事もしてきたし、人とぶつかって、お互い傷つくこともずいぶんあったし、不意に飛び出して事故にあうような痛い目にもあって、考えてみれば危なっかしい人生を送ってきたものである。


良くも悪くも私はフリーチャイルド。60歳を過ぎても変わらない。
人から見れば、なんて損な生き方、なんて効率の悪い、バカな生き方と思えるだろう。
私自身だってそう思う。でもそれが私なんだ。


良いも悪いもなく、私はこういう拙い生き方しかできなかったけれど、少しも後悔はない。少なくとも、私は自分に正直に生きてきたし、どんな時も一所懸命で精いっぱい努力したし、何とか問題をクリアーして来たから。


離婚したり、社会的地位もお金もない私を地元の友達がうっかり「人生で失敗したね」と言ったことがある。私は物質しか見えない彼に反論する気にもなれず「お金持ちのあなたから見れば、そうかもね」とだけ答えておいた。
しかし、私は負け惜しみでも何でもなく、いい人生を過ごさせていただいていると神様に毎日感謝をしている。


なにしろ自分の天職ともいえる、スピリチュアルな占いのお仕事をさせていただいているのだもの。こんな幸せなことはない。


その友人に対しては腹も立たない。なぜって彼は親の財産で駅前にビルを持ち、仕事らしい仕事もせず、美人の奥さんと、美人の娘さんを持ち、幸せに暮らしているが、精神世界の事は何も知らないんだから、そう考えるのは仕方のないことなのだ。
彼の価値観からいえば、彼の言うことが正しいのだし、私が幸せだといっても、彼には理解できず負け惜しみにしか聞こえないだろう。


家族を失ったら、私はやはりかなり悲しむだろうけれど、亡くなった本人は霊界で幸せに暮らせることを知っている。
物質に関しては、今はほとんど執着はない。すべて失っても何とか生きていけると思っている。


賢く、間違いの少ない人生を送っていたら、私は今のような仕事はしていなかっただろう。
苦しんで来たから、自分とは何か、人生とは何か、この苦しみから逃れるには、どうしたらいいのかをずっとずっと考え続け、答えを求め続けて今日に至ったから、やはり、私の一見「おバカ」な生き方は、私にとっては大正解だったと思う。


今もし、生きる上で苦労している方がいらしたら、その苦労は、きっとより素晴らしい世界につながっているから精一杯頑張りなさいと言ってあげたい。


そして苦労を乗り越えるためには、エゴのメガネをはずして、自分も人も、周りの状況も愛を持って客観的に見ることだと教えてあげたい。


今日の私、小学生とすれ違う時、荷物が彼らに当たらないように、手が痛かったけど、我慢してずっと持ちあげていた。前の私だって注意はしただろうけど、そこまで犠牲は払わなかったんじゃないだろうか。列からはみでた子の2、3人くらいには、ぶつかっていたかもしれない。


相変わらず状況を読まない「おバカ」な私だけど、前より人に対する気遣いはできるようになったから、ちょっぴり進歩してて、嬉しかった。


          北千住のスピリチュアルな占い師   安 寿