今年の3月で満24歳になる我が家の猫クロが、昨年の12月半ば過ぎから、急に下半身が膨らんできて、両後ろ足、しっぽも太くなってきました。
お医者様に連れていくと、老衰で腹水が溜まり始めているとのこと。腹水を抜くと、一気に死亡してしまう危険があるし、点滴などをしても、もう全身の臓器が弱ってきているので、このまま穏やかに過ごさせてあげた方がいいのではないかとアドヴァイス頂きました。
いつかはお別れが来ると覚悟していましたが、友人たちから『怪猫』と呼ばれるくらい丈夫な子でした。
一昨年の12月には二階の踊り場から2.5メートル下の道路に落ちて動けなくなったことがあり、その時もお医者様に「年だからね」と、暗に覚悟を促されたのに奇跡的に持ち直して、少しビッコをひきつつも、去年一年間なんの病気もせずに過ごしてきたのです。
昨年12月の診察からひと月になろうとしていますが、腹水で、3キロの猫が4キロ位に重くなり、前足まで腫れてきました。
歩くのはもちろん、体の向きを変えるのもドタバタと大変そうです。
近くに水と餌を置いてやったのですが、立ち上がって3、4歩のところにある水を飲みに行くのもしんどそうで、飲み終わるとぐったり寝そべってハアハアと呼吸が荒くなります。
要求が多いというか、苦情なのか、あんなにニャーニャーとよく鳴いていたのに、今はほとんど鳴かず、一日中ぐったりと横たわっています。
あんなに犬のようにべろべろ舐めまくる子だったのに、今は顔を寄せても、頭をこすりつけてくるのがせいぜいです。
一昨年の12月に動けなくなった時は、三日間寝たきりで、餌も食べず水も飲まずでした。
時間を見計らってトイレに抱いてゆくのですが、自分が排せつしたくない時は体をねじって嫌がり、トイレから這い出るような勢いでもがいたものです。本当に行きたくなった時は、私の眼を必死に見て切迫したようにギャーギャー鳴くのでスグ分かりました。
4日目に自分でトイレに行こうと立ち上がっては倒れて失禁し、介護する私は目が離せず大変でした。
今思えば、動けなくてもその時はまだ気力も体力も十分だったのですね。
今は時間を見て、トイレに入れて体を支えてやるとちゃんと排せつしてくれます。前よりずっと静かで、素直で、介護しやすくなりましたが、それが不憫でなりません。気が強くプライドの高い猫だったのに…。
今の救いは食欲があることです。
肉とか魚とかを焼いていると、むっくりと顔を上げます。
台の上に餌を置いてやると、お尻をつけてお座りした形で、後ろ足を投げ出して一所懸命食べています。
まだ大丈夫だと思える瞬間です。
食事の量も体重3キログラムの猫の標準はクリアしていますし、排せつもまずまずです。
「さすが『怪猫』そう簡単にはいかないよね」と半ば自分に言い聞かせながら、猫の背中をさすってやる毎日です。
重い気持ちを抱えた私を神様がご心配くださっているようで、最近、猫のお世話をたくさんしてきた友人に道でばったり出会うことが多くなり、そのたびに励まされ、元気をいただいています。
彼女によると、年老いて亡くなる猫は、あまり苦しまない場合が多いのだとか。
人間だって猫だって、この世は修行の場です。
長生きすれば、それだけ修行も多くなり、苦労もするでしょう。
年老いたものに安らかな最期が多いとすれば、それは神様のお慈悲なのでしょう。
クロも15歳という老年で、前の飼い主の所から我が家にもらわれてきました。
自然豊かな田園地帯で、家の中と外を自由に行き来していたのに、こちらに来てからは自由に外に出してもらえず、狭い家で暮らし、さらに時々、飼い主の歌のレッスンという苦行に耐えなければならなかったのですからストレスも多かったと思います。
それにもめげず、まる8年、ほとんど病気もせず、私と一緒に生きてくれました。感謝しかありません。
クロはわが人生で初めての、そしておそらくは最後の飼い猫です。
あの世とこの世に分かれても、私たちの絆は深いはずです。
ああ、でも、猫の気持ちは分かりません。猫は、3日で飼い主を忘れるそうですから。
それでいいです。永遠の片思いで。なにしろ私はクロの下女ですから。
クロお嬢様が安らかに旅立てるよう、毎日神様にお祈りするとともに、できるだけ傍に寄り添っていられるよう努める日々です。
北千住のスピリチュアルな占い師 安 寿