安寿の小径

北千住のスピリチュアルな占い師 安寿のブログ http://anju.cho88.com/

歌う喜びを教えてくれた先生へ

確定申告を終え、ホッとした2月下旬、私が初めて師事したヴォイストレーニングの先生の訃報が入りました。


2年前の10月に発病して、1年弱の闘病生活の末、病を克服して、昨年10月には還暦祝いのリサイタルを成功させたばかりです。
昨年暮れ、レッスンを再開して間もなく体調を崩され、入退院を繰り返された後、病気が再発したので当分治療に専念しますというご連絡がありました。


今年1月末に先生ご本人から、「やっと電話が掛けられるようになりました」というお電話を頂き、私も少し安心していたところだったので、あまりにも突然な気がして、ご家族からのお電話に言葉を失ってしまいました。


歌好きなのに、気持ちよく声が出ないのを何とかしたくて、友人の紹介で3年前、65歳の誕生月から習い始めました。


先生は小柄で、いつもジーパンとシャツというボーイッシュな方で、音大に入る前はスポーツをなさっていたとかで、贅肉もなく、うらやましいくらいのスタイル。
贅肉たっぷり、あちこち調子が悪い私とは違って、とてもお元気そうで、実際「大きな病気はしたことが無いんです」とその頃おっしゃっていました。


物覚えは悪いし、楽譜も読めないこんなおばあちゃんを、とても優しく、励まし励まし、粘り強くご指導下さり、お腹から声を出すということがやっと分かり、ちゃんとできた時の気持ちよさもわかってきました。
以前よりも楽に声が出せるようになり、嬉しくてうれしくて練習に励んでおりました。


私は楽譜が読めないので、いつも課題曲を先生に歌っていただき、それを録音して練習するのです。
だから私のレコーダーには、練習の際の先生とのやり取りや先生の力強い美しい歌声が残っています。
それを聞いていると、お通夜や告別式でお別れしたのに、なのにとても先生が亡くなったなんて信じられなくて、まだどこかにいらっしゃって、ただお会いできないだけのような感じがするのです。


本当に先生は消えてしまったわけではなく、食べる心配のない、死や病気の心配もない世界に行かれただけなのです。


亡くなってすぐはこの世とそっくりな、現幽界という所に行きます。この世とあの世の中間地点で、あまりにこの世とそっくりなので、突然死した方などは、自分が死んでいると思っていない場合も多いそうです。
先生もまだ49日が済んでいないので、あまりにこの世と変わらない世界にいらして、本当に自分は亡くなったのかしらなどとビックリなさっているかもしれません。
そして、ご家族に、自分は元気にしてるから心配しないでと、メッセージを送っているかもしれません。


ご家族を残して亡くなった方のほとんどが、残してきたご家族を心配して、自分が元気でやっていることを伝えたがっているそうです。
実際、ご遺族の約60%くらいの方が死者から何らかの合図を受け取っているらしいのです。


私も、母が亡くなった時には、思いがけない場所で、ふっと母のつけていた香水の香りを感じることが何回かありました。
また、母が亡くなったのは2月のまだ寒い頃だったのに、夜中寝ている時に風鈴の音を聴いたり、家の中に限らず、歩いている時にも風鈴の音を聞く事がよくありました。
その度に、「ああ、お母さんが私を励ましてくれているのだな」と感じたものです。


チョウチョやトンボなどの昆虫になって挨拶に来るというのもよく聞きます。


夢の中で会う事もよくあるそうです。
友人のご主人は、まだ家族の寝ている明け方、階下に降りて行きそこで突然亡くなってしまいました。
お葬式も納骨も済ませた数か月後、そのご主人が彼女の夢の中に現れて、「俺、死んだのか?」と彼女に聞き、話を聞き終わると「早く死んでしまって、ごめんな」と彼女に謝ったそうです。
彼はまだ50代で、未婚のお嬢さん二人を残していたのです。
親として、まだ大きな仕事が残っているのにと、残念だったのでしょう。


私たちは毎晩寝ている間にあの世を訪れて、懐かしい人々と会ったり、霊的エネルギーの補充をするそうですから、私の友人は、あの世で本当にご主人と会っていたのでしょう。


私はレコーダーのスイッチを押せばいつでも先生を活き活きと感じることができます。
このレコーダーの内容をパソコンで読み取り、CDにできないだろうかと考えています。
あの先生の美声が失われてしまうのがとてもとても残念なのです。


先生がリサイタルをなさると聞いた時、先生にCDを作ってくださいとお願いしたほどです。
あんなすばらしい実力をお持ちの先生が、歌やピアノを教えるだけの人でいらっしゃるのはもったいないといつも思っていました。
「もっともっと世の中に発信して下さいと」と、いつも先生のお尻を叩いていたのです。
無欲な先生はただ笑っていらっしゃいましたが、今度お葬儀に参加させていただいて、理由が少し分かりました。
小中学生や高校生、若い方から私と同じような年齢のお弟子さんまで、幅広い年齢のお弟子さんたちがとてもたくさんいらしたからです。


先生はきっと教え育てる方に情熱を感じられていたのでしょう。そして先生のお役目もそこにあったのかもしれません。
もし世の中で活躍していれば、今の様にお孫さんたちに囲まれた幸せな家庭生活の何かを犠牲にしなければならなかったかもしれないし、これだけ大勢のお弟子さんに教えることは時間的にも難しかったでしょう。


お通夜も告別式も参列者が多く、私たち高齢の弟子たちも泣いていましたが、涙を流している親子、抱き合って泣いている生徒さんたち、先生がどれほどみんなに慕われ、惜しまれているのかを感じないではいられないお葬儀でした。


世の中、実力がある人が皆有名になるわけではないし、その実力をどこでどんなふうに発揮するかは、その人のお役目によって違います。
そんなことが分かっていたつもりでも、先生の美声を世の中にもっと知ってもらいたくて、私は愚かな事を先生に申し上げてしまいました。


先生は神様から与えられた才能でたくさんの若い才能を育て、私のような老人にまで、余生を明るく照らす歌う喜びを教えて下さいました。
心から感謝いたします。
先生はまた幸せな妻であり、母であり、お婆ちゃんでもありました。
まさに音楽と愛にあふれた人生をお過ごしになったのですね。


一昨年の4月、私にとっては生まれて初めての発表会がありました。
先生にとっては最後の発表会となってしまいましたが、その発表会で私が歌わせていただいた歌が、奇しくも『耳に残る君の歌声』という歌でした。

先生のご冥福を心よりお祈りいたします。




         北千住のスピリチュアルな占い師    安 寿