先月、ソプラノ歌手大前恵子先生主催のボイストレーニングクラスに参加しました。
その日の課題曲は、お彼岸が近いという事で、皆様ご存じの『千の風になって』でした。
歌う前に、先生がとても素敵なお話を聞かせて下さったので、ぜひ皆様にもお伝えしたいと思い、先生の御許可を頂いてご紹介致します。
もう四半世紀以上前の事件ですから、お若い方はご存じないかもしれませんが、オウム真理教というカルト教団が引き起こした戦後最大の凶悪事件の一つ、坂本堤弁護士一家殺人事件をご記憶でしょうか。
オウム真理教というカルト教団は、本気で日本を支配しようとして、武装化して軍事訓練をしたり、自動小銃や化学兵器サリンなどを製造し、自分たちに敵対する人物を殺害し、松本サリン事件や地下鉄サリン事件などを実行した無差別テロ集団です。
オウム真理教の恐ろしい反社会性に世間があまり気付いていなかった頃から、坂本弁護士はオウム被害者の会を組織するなどして、脅しにも屈しないで真っ向からオウム真理教と闘っていたのです。
その坂本弁護士を殺そうと、オウムの幹部6人が、1989年11月4日坂本さんの自宅に忍び込み、坂本堤弁護士(当時33歳)と妻の都子さん(当時29歳)と長男龍彦ちゃん(当時1歳)の3人を殺害し、それぞれのご遺体を富山、新潟、長野の、地元の人もあまり行かないような山奥に隠したのです。
オウム真理教の信者のバッチが現場に落ちていたにもかかわらず、神奈川県警はこの事件を『失踪』と断定し、『事件性なし』として捜査しませんでした。
真偽のほどは分かりませんが、坂本弁護士が所属する法律事務所がリベラルな活動を行っており共産党系だと目されていたため、神奈川県警の初動捜査に手抜きがあったのじゃないかと当時噂が出るほど、神奈川県警のオウム教団に対する追及は甘かったのです。
その甘さが、後に松本サリン事件や地下鉄サリン事件等を引き起こすことになってしまったのですから、神奈川県警の初動捜査のあり方はもっともっと社会的に糾弾されるべきだったと今でも非常に残念に思います。
坂本さん一家に異変が起きた後、関係者はすぐにオウム教団を疑いました。
なぜなら坂本さんは『オウム真理教被害者の会』を組織し、オウム真理教の反社会性を広く世間に訴えて、法的措置をとる準備を進めていたからです。
仲間の弁護士たちがすぐに『坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会』を結成して、八方手を尽して情報を集め続けていたのですが、殺害から6年後、犯人の一人、岡崎一明が自首するまで、三人のご遺体はそれぞれ長野、富山、新潟の人気のない山奥に別々に埋められたまま、発見されることはありませんでした。
1994年松本サリン事件で8人が死亡、660人が負傷し、後遺症で苦しむ中、無実の被害者の男性1人が犯人扱いされ、ご家族を抱えて、重傷の奥様の介護をしながら、マスコミなど、世間の疑惑の眼に立ち向かっていらっしゃいました。
1995年3月20日に地下鉄サリン事件が起きて、やっと警察は本格的にオウム真理教を捜査し始めたのです。
その間オウム真理教は衆議院議員選挙に出たり、マスコミにももてはやされていました。
警察もマスコミも、そして一部の宗教学者までもがオウム真理教の正体を見破ることができず、彼らを野放しにしていたのです。
本当にひどい話ですが、つい25年前の出来事なのです。
この事件から、私たちは何を学ぶべきでしょうか?
権力者はもちろん、警察もマスコミも世間の風評も簡単に信じてはいけないという事でしょうね。
何かを判断する時、私たちは出来るだけ多くの情報を手に入れ、できるだけ多面的に客観的に物事を判断しなければ、善意の人であっても、間違った方向に引きずられてしまう危険があるという事です。
まだ、オウム真理教事件の裁判は終わっていません。
坂本弁護士は弱者の権利を守るために弁護士を志した方だそうで、実際弁護士になられてから、霊感商法の被害者や、労働争議や、障害者の権利のための弁護をなさっていて、権力や警察にもはっきりと問題点を指摘するような正義感の強い、頼もしい弁護士さんだったそうです。
奥様の都子さんも、高校生の頃から障害者のためのボランティア活動をなさっていて、その活動を通してお二人は出会い、愛を育んでご結婚されたようです。
音楽という趣味でもお二人は気が合って、堤さんはバイオリンを、都子さんはフルートをなさっていたそうで、日本フィルハーモニーのサマーキャンプなどにお二人で参加されていて、日フィルの音楽家たちとも親交がありました。
特に親しかった日フィルのバイオリニスト松本克己さんをはじめとする20人程の音楽家が、毎年9月に3人のご遺体が発見された場所で慰霊のための演奏会を続けていらっしゃるのだそうです。
その音楽家の中に大前恵子先生もいらして、去年はご遺体が発見された山深い現場でアベ・マリアを歌ったそうです。
本当に、どうやって遺体を運んだのだろうと思う程の場所だったそうです。
先生は今年で4回その慰霊の演奏会に参加されているそうですが、毎回不思議な事が起こるのだそうです。
長野県にある龍彦ちゃんのご遺体の発見場所で松本さんがバイオリンを弾いていると、必ずトンボが飛んできてバイオリンの先に留まるのだそうです。
また、長野から富山、新潟に向かう道中、必ず虹が架かるのだとか。
今年は現場近くの公民館のような場所をお借りして演奏会を開いたそうですが、とても穏やかな日だったのに、公民館の自動ドアが突然開いて、一陣の風がサーッと会場を吹き抜けて行ったのだそうです。
受付をしていた近くのお寺の奥様も驚いて、こんなことは初めてだと不思議がっていらしたとか。
その風が吹いた後、松本さんの弾くバイオリンの音色が変わったのだそうです。
そのお話を聞いて、きっと大前先生の歌声も、その他の音楽家の皆さんの奏でる音色も違っただろうなと私は思いました。
果たして、先日の演奏会で大前先生が歌った『落葉松』(からまつ)の素晴らしかったこと。以前より以上に抒情的で、落葉松の葉先から透明なしずくがきらめき落ちて、しっとりと心に沁みてくるような歌声で、私はやっぱり大前先生も霊的エネルギーを頂いてきたのだと感じました。
坂本さんご夫妻も、突然命を奪われた当座はショックで無念だったでしょうが、もともと志の高い方々の事ですから、すぐにこの世への執着を捨てて、今はあの世でお幸せに暮らしているに違いありません。
その事を知らせたくて、トンボになってごあいさつに来たり、虹になって感謝の気持ちを表すと同時に、自分たちは素晴らしく幸せに暮らしているというメッセージを伝えているのだと思います。
また坂本さんご夫妻は、あの世でもこの世を浄化するための活動をなさっていて、そんな仲間たちと共に大勢でコンサート会場にやって来たのでしょうね。
その勢いが一陣の風になったのかもしれません。
霊ですから、わざわざ自動ドアを開け閉めする必要なくすっと会場に入れるのに、普通は風では開かない自動ドアをわざわざ開けて、しかも一陣の風となったのは、伝えたいことがあったからに違いありません。
「こちらの世界でも仲間と一緒に元気に活動してますよ。だから今日はみんなで会いに来ましたよ。皆さん素晴らしい演奏をありがとう。皆さんの音楽活動を霊界からも応援してますよ」というメッセージを伝えたかったのではないでしょうか。
本当に人には肉体の死はありますが、魂の死はないのです。
だから亡くなった人はお墓になんかいません。
あの世で元気に活躍しています。
仏壇やお墓はこの世にいる家族との待ち合わせ場所のようなものです。
どのような亡くなり方をしたとしても、誰かを恨んだり、憎んだり、財産やお酒や薬物など、なにかにひどく執着していなければ、普通はすんなりとあの世に行けるそうです。
良くも悪くも普通の人はサマーランドと呼ばれる楽園に行くのだそうです。
その楽園は、魂の浄化の程度別グループになっているのだとか。
我の強い人は我の強い人同士、個人主義の人は個人主義の人同士、似た者同士が集団を作り、お互い合わせ鏡で自分の未熟さを学んでいくのだそうです。
そしてこの世の誰かが思い出してくれた時には、千の風になって、この世の友人や家族に逢いにやってくるのです。
北千住のスピリチュアルな占い師 安 寿