安寿の小径

北千住のスピリチュアルな占い師 安寿のブログ http://anju.cho88.com/

核兵器の廃絶と、世界の平和を願って!

毎日暑い日が続いています。
夏の暑さは毎年記録を更新しています。
あちこちの火山の噴火。
なんだか不気味なものを感じてしまいます。


チラリと目にしたテレビ番組で、2030年頃には太陽の活動が低下して、世界はミニ氷河期に突入するという科学者の意見が取り上げられていました。
しかし、氷河期とはいっても、必ずしも世界中が凍りつくというのではなさそうですが、農作物の被害が懸念されるほどの異常気象にはなりそうです。


江戸時代の飢饉の話を読むと、火山の大噴火、大地震などが天候不順と結びついています。
3、11以降、西ノ島を始め、日本中の火山が動き始めたようで、やっぱりこの先何かありそうですね。
占い的には、来年、再来年あたり、噴火や地震に気を付けなければいけない年です。


毎年、世界のあちこちで自然災害による甚大な被害が発生しますが、人間が絶滅するようなことはないと思います。
ですが核戦争になったら、人類は絶滅してしまうかもしれません。
本当に怖いのは、自然災害よりも戦争です。
今日は長崎に原爆が落ちた日。
被害に遭われた方のご冥福をお祈りしますと同時に、改めて核兵器の廃絶を強く願います。


私たちはただ平凡に暮らしているだけでも結構大変で、自然災害を始め、生きるために日々様々な問題と向き合いつつ生活しています。
その上どうして人間たちは、あっちでもこっちでも、絶え間なく戦争を繰り返し、更に不幸の種を蒔き続けるのでしょうか?


スピリチュアリズムに出会う前、神が本当にいるのなら、どうして人間同士を争わせるようなことをするのだろうと思ったことがあります。
今はわかります。
神は世界を創造する協力者として人間を創造し、創造に必要な能力である自由意思を人間にお与えになったのです。


だから私たちは皆、自分の意思で人生を選び、それぞれがそれぞれの人生を創造しているわけです。


人が戦争するのは、神が私たちに戦争させているわけではなく、私たち自身が戦争する事を選んだからです。
民衆が為政者を選べる民主主義の世の中になっても、戦争したがる政治家や政党を選び、指導者を選び、戦争へと導かれていくのです。


神は私たちの自由意思を尊重します。
私たちが悪の道に行くことを選択しても神はそれを止めることはしません。
もちろん私たち一人一人を守っている守護霊たちは、道を誤らないように様々なサインを出すのですが、感情や欲に負けた人間は聞く耳を持たないのです。


人が争うのは感情や欲です。だから世界の政治家たちが自国を戦争に導こうとする時には国民の感情を刺激します。


冷戦の時代にはロシアが攻めてくると言い、今は中国や北朝鮮が攻めてくると、盛んに言い立てて国民の危機感をあおり、ナショナリズムを掻き立てています。


戦争する時は、第二次世界大戦の時の日本もそうだったように、他国を侵略する目的であっても、時の為政者は『平和を守るため』『他国の侵略から自分の国を守るため』という大義名分を振りかざします。
でもいつの時も、戦争の裏には軍需産業やら石油資本やら、大きな利権が動いていることを忘れてはなりません。
その一部の金持ちや権力者の為に、罪もない若者や子供や一般市民が犠牲になるのが戦争です。
本当にもういい加減やめなければ、人類が滅んでしまいかねません。


先日、『世界報道写真展』を見て来ました。
戦争関係の写真だけではなく、自然や子供のホッとするような写真もあったのですが、心に焼き付いてしまうのは、やはり人間の命が無残に失われていく写真です。
市民や兵士の区別もなく、敵も味方もなく、血を流している戦場の写真や、イカダの様な平たい船にあふれんばかりに乗り込んでいる難民たちの写真です。


神は、全ての人が必要とするもの全てを、豊かに与えて下さっているのに、餓死する人が絶えないのは、世界中に戦争が絶えないことと、富を独占している輩がいるからです。


何時になったら人間は争いをやめるのでしょうか?
こんな愚かな事はもう終わりにしたいと、みんな思っているはずなのに…。
憎しみが憎しみを生んで、際限なく続いていくのでしょうか?


絶望的な暗い気持ちになりかけた時に、イランの写真家によるショッキングな写真に出会いました。
一人の若い男性が目隠しされて、椅子の上に立ち、今まさに絞首刑にされようとしています。
その男性は、喧嘩の末にある男性を刺殺したのだそうです。


大勢の一般市民のような人たちが周りを取り囲み、その中に、被害者の母親らしき黒い服に身を包んだ女性が泣き叫んでいるようです。


次の写真は、男性の首からロープが外され、最後の写真はその男性が目隠しを外し、他の人たちと喜び合っている写真で、件の母親らしき女性が座り込んで白いハンカチを顔に押し当て泣いています。


イランでは、犯罪被害者の遺族に、加害者の死刑執行への参加、または死刑の停止を決める権限があるのだそうで、この場合、母親は、加害者の立っていた椅子を蹴り倒して死刑を執行する権利を持っていたのですが、そうはせず、加害者に赦しを与えたのだそうです。


母親の心情を思うと涙がにじんできました。
憎しみに打ち勝ち、愛を実践したのです。
何かすごく救われた思いがしました。
『目には目を』の価値観を持つことで知られているイスラム教のお国柄であっても、それを超えて、神の大きな愛を実践する人たちがいるのです。


イスラム教に対してあまり良いイメージを持てなくなっていた私ですが、世界中のどこにでも、どんな宗教を信じていようとも、神の愛を実践している人々は大勢いるのだという、とても当たり前の事に気付かされて、自分の偏見が恥ずかしくなりました。
そして同時にとても心強くなりました。


世の中、悪い人もいますが、それよりはるかに善人の方が多いはずです。
なぜなら、どんな人も神の創造物なのですから、全ての人に善なる心があるからです。
だから、気の遠くなるような時間はかかっても、魔界に住む悪霊たちでさえ必ず進化向上していくのだそうです。


確かに、野蛮な戦争は絶えないのですが、それでもやはり人間は成長しています。
日本だって、江戸時代から比べれば、残忍な処刑は無くなりましたし、餓死や行き倒れる人もはるかに少ないだろうし、今の世の中、はるかに豊かで自由で生きやすくなっていると思います。


スピリチュアリズムも世界中でずいぶん浸透してきました。
だからきっといつかはもっとましな世の中になるだろうと思います。
そうなるように、一人一人がイランのお母さんのように、勇気を持って神の愛を実践していきましょう。



     北千住のスピリチュアルな占い師     安 寿