安寿の小径

北千住のスピリチュアルな占い師 安寿のブログ http://anju.cho88.com/

今年のお正月

明けましておめでとうございます。
皆様はどんなお正月を迎えられたでしょうか?
私は暮れから正月の5日にかけて、いろいろなことが重なり、正月返上の忙しさでした。



黒猫の飼い主である知人、実を言えば元夫、つまり子供たちの父親なのだが、認知症が進行して、自立した生活を維持できなくなった。
急遽老人ホームに入ることになり、その荷物をまとめるため、1月4日、二十数年ぶりに家族と過ごした街に向かった。


元夫に対してはほとんど何の感情もない。
憎しみ合って生きるくらいなら別れようと思い離婚したのだから、憎む気持ちもない。
年齢よりもずっと年老いて見える弱った彼に対しても、過去を知る私としては、自分の蒔いた種だと思うから、同情もない。
ただ一人の人間として、助けを求めている隣人に援助の手を差し伸べているだけだ。


頭脳明晰だった彼が3年前水頭症という病にかかり、それは乗り越えたのだが、今度は認知症になり、急速に進行してしまった。


水頭症の手術の時も立ち会ったので、ほぼ3年ぶりに会ったのだが、認知症になっても、私のことはわかるらしく、手伝おうとしたら、「あなたは出て行った人だから、手伝わなくていいです」と言ったので思わず笑ってしまった。
心の奥で、出て行った私の事がまだ許せずにいるのかもしれない。
私は彼のプライドに深い傷を残してしまったのだろうか。
それならなおさら、できるだけのことはしなければならないと思った。


認知症の進行した彼は、それでも以前よりずっと素直になっていて、記憶の混乱はあるものの理性はまだ残っていて、自分の記憶が混乱していることを自覚していた。


入所面接の時、施設の人に何か質問されると、記憶に自信が無いので、その度子供のように私に確認してくる。
感情的にシコリはあっても、十年間一緒に暮らした人間に対する信頼だけは残っているのだろう。
子供のように私を信頼し、頼っている元夫に、初めて優しい気持ちになれた。
そしてこんな風な再会も悪くはないと思った。


元夫の苦境を初めて聞いた時、まだ結婚もしていない子供たちに任せるのはかわいそうだと思い、また、お世話になった彼のご両親があの世で悲しむようなことは出来ないとも思い、私がその世話を買って出たのだが、内心『あの人は、どこまで私を苦しめるのだろう』と被害者意識にもなった。


しかし実際、元夫と会ってみると、これはとても貴重な経験なのでないかと思えるようになってきた。


スピリチュアル的な観点から言えば、今生で蒔いた種は、今生で刈り取っておいた方がいいのだ。


もしお互いの心の中に、お互いに対するマイナスの感情が残っていたら、それがプラスにならないまでもゼロになれば、お互いの魂が救われる。
あの世へ良い旅立ちができる。


これは、神様が下さったチャンスに違いないと思った。


若気の至りで、途中で投げ出してしまった事の後始末をする、ホントの意味でのラストチャンスだ。


どんな出会いも再会も、意味のないものなど無い。その出会いを、少しでも魂の向上に役立てよう。


今度の経験をやっとスピリチュアル的に考えることができた。


1月5日快晴。老人ホームの入所日

早朝、東京郊外に向かう電車の窓から、思いがけず大きな富士山が見えた。
青空の中にくっきりと真っ白に浮かぶ富士山。
その雄大な姿は神々しく、まさに霊峰。
見ているだけで心が洗われ力が湧いてくるようだ。


晩年、富士山のように生きられたら素晴らしいなあと思った。
一人だが孤独ではなく、現世的な欲を離れて気高く、どっしりとして、何があっても動揺しない。そんな老人になれたら素晴らしい。それが理想だ。


自分を見失いそうになったら、何度でも富士山に会いに行こう。


めでたいお正月、思いがけず神聖な富士山に出会えて、なんだか今年はいい年になるような気がしてきた。


       北千住のスピリチュアルな占い師   安 寿