安寿の小径

北千住のスピリチュアルな占い師 安寿のブログ http://anju.cho88.com/

雨にも負けず、風にも負けないアウトリーチ

水曜日、いつものように、山谷に出かけ、隅田川沿いのホームレスの人たちに、パンを配ったり、声をかけて、健康状態や安否確認をしたりするアウトリーチという活動に参加した。


先週はちょうど台風が来て、私は行く気マンマンだったのだが、ちょっとしたアクシデントで参加できなくなってしまった。
あの大変な中、活動に参加されたお仲間に敬意を表する。

参加されたボランティアのお話では、あの風雨の中、一袋のパンを求めて九十人前後の人が列を作っていたそうだ。(通常は250から300人くらい)
だからよっぽどでなければ、台風でもアウトリーチを中止することは無いらしい。


神のご慈悲か、その活動の間中(午後1時から2時過ぎまで)は雨風ともまだピークではなかったようで、また、活動も早めに切り上げたので、その後、帰れなかったボランティアの人はいなかったということで、とりあえずはホッとした。


今日の活動の後の反省会で、慶応大学法学部の学生さんから、「いろいろお話を伺っていると、彼らはけっこう大変な人たちで、自分の意志で生活保護を受けようとしない人たちもいるのに、何がこういう活動を続けていこうというモチベーションになっているのですか?」という質問が出た。


確かに、彼らを何とか助けようとして、病院に入院させたのに帰ってきてしまったり、宿泊所を紹介したり、生活保護の手続きをしてやったりしても、また帰ってきてしまう人々もいる。


アウトリーチ活動を長年続けてこられている方が「やっぱり、長い時間をかけて、心と心が通じ合ったりする、人と人との繋がりかな。にっこり笑って、よかったと言われることが嬉しいね」とおっしゃった。


僭越だが、彼の言葉を補足すれば、「そこに山があるからだ」ではなくて、「そこに困っている人がいるからだ」なんだろう。


その人がどんな理由でホームレスになっているのかは問題ではない。その人が現に困っているなら、手を差し伸べてやり、喜んでもらえたら、自分も嬉しいという事なのだと思う。


「そんなホームレスなんか、怠けもんなんだから、助ける必要なんかないわよ。あなたも物好きね。」と、私も言われたことがある。


ホームレスになった人はみんな怠け者なのだろうか?
行列を作ってパンを受け取る人々の顔を見ていると、どこにでもいる、普通の人たちだ。
むしろ、おとなしそうな、何かあっても文句も言えないような感じの人が多い。
その手は多く、長年の肉体労働に耐えてきた、節くれだったごつい手だ。


経済的に恵まれず、学校教育もちゃんと受けられず、建設現場などを転々とし、ケガや病気になっても、支えてくれる家族もいなければ、相談する人もいない。
労働者の権利や福祉行政についても情報が得られない。


社会は、一部のものが利益を独占するために、そういう人々を生み出す。
そして更に、そういう人々を無権利状態の低賃金で使い捨ててきた。
今だって変らない。派遣労働者もその一例だ。


条件の良い仕事にありつけた人と、悪条件の職場を転々とする人。
経済大国日本は、冷や飯を食わされている人たちの犠牲の上に成立しているのだということを、私たちは忘れてはいけない。


生活保護を受けようとしないのは彼らの我儘だというのなら、私は、基本的に、人間は皆、一人一人がどんな人生を生きようと自由なのだと言いたい。
生活保護を拒否し、自由に生きて、しかしそれ以上生きられなくなったら、勝手に死ねと、神はおっしゃるだろうか。


神は人間を裁かない。
神は、どんな生き方をした者にも、その人が必要とした時には必ず手を差し伸べて下さる。
私は、本当にささやかではあるが、そのお手伝いをしたいと思っている。


最後に山谷地区のホスピス、「きぼうのいえ」から頂いたお手紙に書いてあった言葉をお届けしよう。


神は実り豊かな人生を
愛されるように
何の実も
結ばれなかった(かのように見える)人生をも
お愛いしになる

   「心の歌」アントニー・デ・メロ   ()内、本会加筆 


        北千住のスピリチュアルな占い師    安 寿