朝から失敗ばかり。
「今日は一体どんな日だ?」
占い師といっても、自分のその年の運勢や、月の運勢くらいは前もって調べるが、私は毎日の運勢まではチェックしないタイプ。
おかしいぞと思った時に、その日の運勢をチェックする。
すると大体何かある。
もちろん、運勢上は悪くても、何事もない時の方が多い。
だから毎日こまめにチェックしないのだが、悪い事が重なる時というのは、何かある。
(悪い事が起こるのは、運勢のせいではなく、原因はもちろん自分にあって、その結果が凶神のついた時に現れやすいという事なのです。だからいくら凶神が付いたって、原因が無ければ何も起こらないのです。
その逆もまた然り。つまり運勢がよくても、よくなる種を撒いておかなければ、何もよいことは起こらないって事)
この日も調べてみると凶神が付いていた。
「今日は一日何事も慎重に、気をつけなくちゃ」と思っていたのだが、やっぱり、がっかりするようなことが起こってしまった。
数年前なら瞬間湯沸かし器のようにすぐに腹を立てた私も、スピリチュアリズムの勉強のおかげで、腹を立てたり、相手を憎んだりすることはなくなった。
そのことは本当にありがたいと思う。
しかし、自分の力不足を思って、心が重く、元気がなくなってしまった。
自分の至らなかった点をあれこれ考えながら地下鉄の階段を下りていると、キャリーカートを扱い兼ねている70歳位のご婦人がいらした。
見かねて、すぐに駆け寄って持って差し上げた。
階段の下まで来た時、こちらが恐縮するほど、感謝してくださった。
何かお手伝いしても、いつも感謝していただけるとは限らない。
手伝いを拒否されることもある。
それはその方の自由だから、私は気にしない。
相手の反応がどうであれ、人のお役に立てることは、私自身の喜びだから、私はいつも積極的にお手伝いを申し出るようにしている。
とはいえ、やはり感謝していただけると嬉しさは倍になる。
そのご婦人に感謝していただけて、私はその日の気分の落ち込みが吹っ飛んでしまった。
そして、ほんの1,2分のお手伝いで、こんなに幸せになれるなんて、やっぱり『情けは人のためならず』だなあと実感もした。
それに、こんなに落ち込んだ時に、こんなチャンスを与えて下さり、しかもいつもより丁寧な感謝の言葉までいただき、これは神様のご配慮に違いないと思った。
神の愛はなんと細やかで完璧なのだろうとまたまた感謝感激。
神の愛に気付き、凶の日が大吉に転じたような『終わりよければすべて良し』の一日だった。
北千住のスピリチュアルな占い師 安 寿