安寿の小径

北千住のスピリチュアルな占い師 安寿のブログ http://anju.cho88.com/

瞑想しよう!

コロナウイルスのお蔭でというのも変ですが、出かけられない分、いつもより時間に余裕ができましたので、この所瞑想する回数が増えました。

 

瞑想にはいろいろなやり方があり、自分に合ったやり方でやればいいと思います。

要するに、日ごろの雑用や雑念から解放され、身も心もリラックスできればいいのですから。

 

深い瞑想状態に入ることができると、瞑想が終わった後、気持ちも身体も軽くなるのが不思議です。

私の場合、1時間くらいは同じ姿勢でほとんど動かず座り続けるのですから、腰が痛くなったり、背中や肩が凝ったりしても不思議はありませんが、軽い運動をした後のように身体が軽くなり、ぐっすり眠った後の目覚めのように、すっきりとした気分になります。

 

目を閉じて深い呼吸を繰り返しながら次第に雑念を遠ざけ、瞑想状態に入っていくというのが瞑想の基本で、いつでもどこでもその気になればできるので、最も簡単ですが、雑念を払うのが瞑想初心者には難しいかもしれません。

 

瞑想を始めたばかりの人や若い人には誘導瞑想が人気のようです。

瞑想を誘導する人の言葉に従って、徐々に瞑想を進めていくやり方で、YouTubeにもいくつか紹介されていますから、興味のある方は試してみてください。

 

誘導瞑想は瞑想する目的が決まっていて、その目的に即した瞑想をするという感じです。

私の勉強会でも、時々やって楽しんだりすることもあります。

よくやるのが森の中の道を歩いていき、そこでいろいろなものに出会ったり発見したりして、その時、その人の想像した事や発見したものなどによって、その人の心の在り方や、その時の願望や、対象物に対する考え方を知るというものです。

例えば、

「森の中を歩きます。その森はどんな森ですか?何がありますか?何か聞こえますか?」

などと、その人の想像力を喚起するような言葉がけをして、森の中の道を歩いていく想像の世界に誘導しながら、その人の様々な気持ちに気付かせるなど、ある意味では瞑想を利用した心理テストと言えるかもしれません。

 

これはこれで隠れた気持ちを引き出すのに有効な方法だと思います。

 

しかし、誰かの言葉を聞きながらというのは、どうしても深い瞑想状態には入れません。

瞑想の基本は自我からの解放、無我の境地だと思うのです。それが究極のリラックスです。

 

人によってやり方は様々ですが、私の場合はまずゆっくりとした呼吸を繰り返します。その時、気持ちを集中するために呼吸を数えます。

それでも雑念が湧いてきます。湧いてくるのが普通です。「終わったら買い物に行こう」とか、次から次と雑念が浮かんできます。だから何かに意識を集中することが必要です。

呼吸を数えるとか何かシンボルを思い浮かべるとか、音楽を聴くとか、何かに意識を集中してください。

言葉のある音楽だと感情が涌き、雑念が湧くので、歌ではない楽器演奏のもの、モダンジャズや現代音楽的なものがいいようです。

とにかく雑念が湧いたら呼吸を数えることやシンボルを見つめることに意識を戻す、湧いたら戻すを繰り返していくのです。

 

辛抱強くやっているとだんだん雑念が湧かなくなっていき、呼吸やシンボルに意識が集中していきます。

集中していくにつれて呼吸が浅くなっていき、耳は聞こえますが体の感覚は遠ざかっていき、周囲に溶け込んだようになっていきます。

そうなると私は光にすっぽりと包まれたような感じになり、非常な幸福感に満たされます。

感謝の涙が無意識のうちに流れていることもあります。

私の意識が広がり、無限の宇宙に溶け込んでいるようになりますが、不安はありません。

とても幸せです。現実に戻りたくないような恍惚感ですが、しばらくその中に漂っていると、徐々に世界が小さくなっていき、現実に戻ってきます。

戻った後もその時の幸福感や満足感が心身に残って、とてもすがすがしい目覚めを迎えます。

 

その時々の集中力で違いますが、雑念が去るまでは、私の場合、最低でも10分弱はかかると思います。

1時間座っていても、雑念ばかりで失敗の時もありますし、もっと浅い程度で終わる時もありますし、今でもいろいろですが、うまくいったときの恍惚感は、ぜひ一人でも多くの方に味わっていただきたいと思います。

 

その時にメッセージ的なものが感じられることもあります。

いやなことがあった時など、心のバランスをとるために瞑想することも多いのですが、10年位前、人間関係ですごく傷ついた時の瞑想で忘れられないものがあります。

恍惚感の中で、『善いものだけを受け取りなさい』というメッセージを受けた時は、感動で涙が止まりませんでした。

これは言葉で降りてくるのではなく、そういう全体の意味を一瞬でパッと感じるというか、理解するというか、テレパシーという感じなのでしょうか。

 

その人から、たくさん善いものも受け取っていたのに、悪いものばかりに目が行って、善いものを頂いたことを忘れていた自分に気が付きました。

その時のわたしは、善いものを捨てて、悪いものだけを手にして、それを嘆いていたのです。

その時目の前に置かれた善いものと悪いもの、どちらを手に取るかは私自身の選択です。

その事に気付かされたのです。

善いものだけを選んでいくようにすれば、自分が傷つくこともありません。不幸になることもありません。

世界は善いもので満ちるのですから。

 

あの時以来、私はできるだけ善いものをだけを受け取るように気を付けています。

お陰様で、不自由な毎日ですが、今日も幸せに生きています。

 

 

 

             北千住のスピリチュアルな占い師   安 寿