安寿の小径

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『おらおらでひとりいぐも』を読んで

やっと確定申告も終わり、少し時間ができたので、話題の芥川賞受賞作『おらおらでひとりいぐも』を読みました。


作者の若竹さんは63歳で、今迄の芥川賞受賞者の中で最年長だそうで、私たちシルバー族にとっては励みになり嬉しい事です。


方言がとってもいいですね。包み込むように柔らかくて、優しくて、癒されます。
こんな言葉で話している東北の人は、みんな優しいのではないかと思ってしまう程です。


せっかちで、少々きつい物言いの環境で育ったせいでしょうか、東北の方言で表現される世界はうっすらとフィルターがかかったように輪郭がおぼろで、物同士が融和しあっている感じがするのです。
最愛の夫に先立たれ、さらに老いが主人公桃子さんの孤独に暗い影を落とし、かなり深刻なテーマなのですが、東北弁で語られる桃子さんの日常はどこかホッコリ温かく、ユーモアさえ感じてしまいます。


私の育った東京の下町言葉は、小さい『つ』つまり促音の『つ』がやたら多くて、下町人間の気の短さをよく表していると思います。


『まっすぐ』は『まっつぐ』  『へし折る』は『おっぺしょる』
『捨てる』は『うっちゃる』等など、私の父や母の時代の人たちは、日常こんな言葉で話していましたが、私の時代ではほとんど使われなくなりました。


それでも数年前までは浅草に行った時など、時々歯切れのいい下町言葉を耳にすることもあって、とても懐かしい気がしたものですが、今では落語などで少しその残り香を楽しむだけとなり、ちょっとさびしい気もします。


さて作品の話に戻りますが、63歳なんて70歳の私から見たらまだまだ若い。
身体もまだまだ元気でしょう。
個人差はあるでしょうが、私の場合、70の声を聞く頃から、あちこちガタガタし出していよいよ『老い』に突入したと感じています。
私から見れば、まだまだ老人とは言えない60代の著者が、10歳以上年上の老人の気持ちをリアルに捉えていると感心しました。


主人公の桃子さんは一目惚れの人と結婚し、夫婦不円満で30年連れ添い、15年前にご主人を亡くしてから、自分の心の中のいろいろな自分と会話するようになったのです。


愛するご主人との突然の別れは大変な試練だと思います。
愛が深ければ深いほど立ち直るのは大変でしょうが、それでも私はそんな桃子さんの人生が羨ましい気がするのです。
1人の人を深く愛しその人の為に生きられたなんてすばらしいじゃありませんか。


そんな人生を生きた桃子さんですが、夫を愛し、夫に従う事で自分自身の人生を生きなかったのではないかと後悔する自分の声もあるのです。


本当に人間って仕方のないものですね。自分の人生に取り立てて不満はないものの、自分が選ばなかった人生に憧れる気持ちも湧いてくるのですから。
どんな人生を選んでも、人は自分の経験しなかった人生を想い、何らかの不足を感じるものなのでしょうね。


私は東京の下町という、とても賑やかな所に住んで、友人たちと『美女会』と称して、食事やお茶を楽しんでいるので、まだまだ孤独を感じる暇はありませんが、私たち『美女会』のメンバーも、やがてはいろいろな事情で、一人欠け、二人欠けしていくのは目に見えています。
孤独は避けては通れない、老人にとっての道連れです。


『老い』は人生最後の修行です。
身体的に不自由になったり、経済的に不自由になったり、孤独になったり、考え出したら不安の材料にはきりが有りません。
寂しさや不自由さと向き合い、それを受け入れて、最後は感謝の気持ちでこの世を去ることが私の理想です。


なかなか理想通りにいかないのが人の弱さですが、しかし私の知る限り、多少ジタバタしても、最期は皆安らかに旅立って行けたように思います。
どんなに無信心な人にも、あの世への旅立ちには必ず神様のお導きがあるからでしょう。


以前読んだ、ハンセン病の方が書いたご本の中の言葉が忘れられません。
ハンセン病になると様々な感覚を失うのだそうです。
熱いものを触っても分からず火傷をし、釘を踏んでもわからず化膿してしまったり。
その上、臭覚や視力や聴力を失う方もいらっしゃるのだとか。
最後まで残るのが舌の感覚なのだそうです。
それで視力や手足の感覚を失った人は、舌の感覚を頼りに、点字を舐めて読み取ろうとし、本が血だらけになることもあったのだとか。


そんな厳しい人生におかれた方たちが、自分にまだ残っている感覚を『残り福』と呼んでその感覚を楽しむ事を大切にされていたのだとか。


『残り福』いい言葉ですね。
色々なものを失っていかなければならない老境こそ『残り福』という言葉を噛みしめて生きる覚悟が必要です。


老いて生きる時期は自分の人生の集大成の時。
今自分に与えられている『残り福』に感謝しつつ、それを大切に、失わないように努力しつつ、でも最期は神様にお任せで、桃子さんの様に心の中の自分と会話しながら、最後まで明るく人生を全うできたら最高に幸せです。

過去の人生がどうだろうが、どんな失敗続きの人生だったとしても、社会的地位が有ろうと無かろうと、貧乏だろうがなんだろうが、そんなこととは全く関係なく、そんな風に旅立って行けたら、その人生は最高に素晴らしいものだったとは思いませんか?


最期の生き方が、隠しようもなくその人そのものを表すのです。
どんなに立派なことを言っていたとしても、不満だらけで一生を終えたら、この世に未練や執着や後悔を残して一生を終えたら離陸に失敗し、魂はしばらく低空飛行です。


高く高く天に昇って行けるよう、沢山の桃子さん桃男さん、一緒にがんばりましょうーね!



          北千住のスピリチュアルな占い師   安 寿