暑い寒いと言っている内に、もう立冬を過ぎて、カレンダーの残りもあと1、2枚となりました。
お陰様で我が家の20歳の老猫クロも、後ろ足で身体を掻くたびによろけてはいますが、何とか雨続きの蒸し暑い夏や寒暖の差の激しかった秋を乗り越え、年の瀬を迎えられそうです。
ただ食べる量はずっと少なくなり、昼間はほとんど寝ています。
寝床から起き出して来るのは、私が外出から帰った時などくらい。
帰ってきたら真っ先に、着替えたり、買って来たものを冷蔵庫に入れたりしたいのですが、クロは相手してもらいたくて、要求が通るまでしつこく鳴き続け、つきまといます。
足元をウロチョロされると危ないし、4,5分撫でてやれば、その後多少不満でもあきらめて自分の巣に帰るので、まずクロの気持ちを優先するしかありません。
クロの相手をすると言っても、猫じゃらしには興味を示さなくなりましたから、もっぱら体中をマッサージするように撫でてやります。
頭のマッサージに満足すると私に背中を向け、背中のマッサージを催促します。
私が何かに気を取られ、撫でている手が止まると、すぐにじろりと後ろを振り向いて、私の顔を見上げて「ほら、手が止まってるよ。気持ちがこもってない!」とお叱りの視線が飛んできます。
昼間は心配になるくらいぐっすり眠っているのですが、毎晩10時を過ぎた頃から元気になって、落ち着きなく部屋の中を歩き回ったり、突然虚空をにらみ、何かを威嚇するように鳴いたり、外に出たがったり、相手をしろと鳴き続けたり、多少認知症的な症状が出ているような気がします。
落ち着きが無くなったら、膝に抱きあげて、30分位撫でて落ち着かせるしかありません。
以前も夜鳴きで困っていましたが、最近また夜中に犬の遠吠えのように、それも恨みがこもっているような怪しげな声で突然鳴き始めます。
背中をさすってやると落ち着くのですが、二度も三度も起こされるので、少々まいっています。
丑三つ時の夜鳴きが収まってやっと眠っていた今朝6時頃、突然毛玉を吐き始めたので飛び起きて、布団を汚すまいと紙を差し出したのですが時遅し。
毛布カバーを汚されてしまいました。
もうあと1時間は寝ていたかったのに、泣く泣く起きてカバーを外し、風呂場に持っていき、とりあえず汚れた部分だけ始末しました。
子育ての頃はこんなことしょっちゅうあったような気がしますが、老骨にはちょっと厳しいと感じます。
老々介護をなさっている方も、こんな感じで頑張っていらっしゃるのでしょうね。
寝る部屋を別にしようかとも思うのですが、老猫なのでよく吐くし、急に具合が悪くなったらと思うと心配で、今のところ頑張っています。
それにクロが夜鳴きをするのは、何か急に不安になるからかもしれません。
背中をトントンしてやると鳴きやんで静かになるのですから。
クロにとってはこの世で頼れるのは飼い主の私だけ。
わがまま言えるのも、甘えられるのも私に頼り切っているからでしょう。
それを想うといじらしくて、もう少し頑張ろうと思うのです。
動物は本当にかわいいし、癒されもしますが、感情のある生き物なので、それだけにこちらのコンディションが悪い時など、正直大変です。
やれやれと風呂場から部屋に戻って来た時、「愛する事には痛みが伴い、私たちは日々、その愛を実践していかねばなりません。」という言葉が浮かびました。
出典も忘れてしまいましたし、言葉も確かではないのですが、確か、ノートルダム清心学園の理事長、渡辺和子さんの言葉だったと思います。
この場合の愛する対象は、ペットや家族ではなく、もっと広い意味だったと思うのですが、ペットや家族、友人など、私たちの身近にいる人たちに対しても、何に対しても、愛するという事は痛みを伴うものだと、つくづく思いました。
どんな人間関係でも、いい時ばかりではありません。
必ず辛い時、苦しい時があります。
そんな時こそ、自分自身の愛の質が試されて、そして痛みを引き受けることで愛はエゴをそぎ落とし、一段と純粋な真実の愛に近づいて行くのでしょう。
辛い時苦しい時は、どうしても苦しい事実だけに目が行って、相手を否定的に考えてしまいがちです。
でも、自分が愛しているからこそ、喜びと同時に痛みも感じるのです。
苦しくとも辛くとも、愛さずにはいられないほど愛おしい存在。
その愛おしい存在から、どれほどのたくさんの喜びを私たちは受け取っていることでしょうか。
その事を苦しい時ほど思い出して、愛する力を強くしましょう。
そして、愛しい存在とのご縁を下さった神様に感謝しましょう。
ペットの行状にちょっと振り回されただけなのに、私は大切な事を忘れていました。
またクロちゃんに、自分の未熟さを教えられました。
渡辺和子さんの祈りの言葉をご紹介します。
『日々の生活に否応なく入り込む、一つ一つの事を丁寧にいただく事で、痛みながら平和と命を生みだしていけますように』
『天のお父様 どんな不幸を吸っても 吐く息は感謝でありますように すべては恵みの呼吸ですから』
この祈りの言葉を大切にして、弱音を吐かず、愛する喜びをもっと味わい、毎日を感謝の気持ちで、丁寧に生きていきたいと心から思います。
クロは5年前のクリスマスの日に我が家にやって来たのです。
まさに神様からのプレゼントでした。
クロは私に自分の様々な未熟さを気付かせてくれました。
老猫であるクロは、私に老いていく姿を見せてくれ、私に死を意識させてくれました。
クロのお蔭で私は、以前よりずっと子供たちや友人たち、ペットとすごす何気ない日常の時間が何よりも大切なものであると自然と実感するようになりました。
今私は、クロから愛する力の筋トレをされている所です。
さあ、今晩も頑張ります!
北千住のスピリチュアルな占い師 安 寿