安寿の小径

北千住のスピリチュアルな占い師 安寿のブログ http://anju.cho88.com/

母の日におすすめの映画 『ライオン』

「『ライオン』25年目のただいま」という映画を見てきました。
実話をもとに作られた映画だそうですが、実母と養母と子について、あるいはもっと根源的な母性について、考えさせられる映画でした。


インドのスラム街に、母と兄と妹と4人で暮らす5歳の主人公サル―が兄とはぐれ、回送列車に乗って眠り込んでしまったため、言葉も通じないほど離れた都会に運ばれてしまい、そこで孤児として生活し、運よくオーストラリアのタスマニア島に住む養父母に引き取られ生活することになる。


優しい養父母と何不自由のない暮らし、自分が恵まれていて幸せであればあるほど、貧しく、それでも家族が深く愛し合い、支え合って暮らしていた故郷の家族の事が気にかかる。
主人公サルーは、養父母に対する愛情と感謝、そして故郷の家族対する想いに揺れ動く。


故郷の母は、石を運ぶ仕事で幼い三人の子供を育てていた。
当然食べるのにも事欠くような生活で、5歳のサルーも12,3歳位の兄も、走る貨車から石炭を盗んで、わずかな牛乳を手に入れたり、知恵を働かせ、身体を張って、それでも母の深い愛情に包まれて、幸せに生きていた。


25年の月日が流れても、幼い頃の母や兄との思い出はサルー心から消えることはなかった。
ある時、同じインド人の友人宅で、昔兄にねだったが買ってもらえなかった菓子を目にする。
驚くサルーを見た友人に理由を聞かれたことがきっかけで、サルーは初めて自分の境遇を友人に話す事になる。
故郷の家族に対するサルーの想いを聞いた友人は、インターネットの情報を使えば、彼の故郷が分かるのじゃないかとアドバイスする。


手掛かりになるようなはっきりとした記憶もないので、不可能ではないにしても、気の遠くなるような話だと初めは無視していたサルーだったが、次第に故郷を探すことに熱中しはじめる。
仕事も辞め、自宅に閉じこもって一心に故郷を探す毎日。
養母の気持ちを気遣って、養母に知られないようにやっているので、次第に養母とも疎遠になってしまう。


養父母の家には、彼のほかにもう一人養子がいた。
サルーが養子になってようやく新しい生活や養父母になれた頃、養父母が新たに迎えた男の子だ。
その子は何かあると激しく自分の身体を叩いたり、傷つけたりするような難しい子供だった。


しかし養父母はその子もサルーに対するのと同じように思いやり深く、忍耐強く育てたのだが、サルーが順調に大学にまで進んだのに対し、彼は何かと問題を起こし、養父母を苦しめ、あげくの果てに家を出て、掘立小屋に住み、働いたお金は全て薬物のために使い果たしてしまう様になってしまった。


家族の集まりにも遅刻したり、来なかったり、サルーがそれをとがめると、自虐の発作を起こす。
そんな問題児の息子に対しても養母は愛情を注ぎ、彼の良い所を見ようとする。
彼が来ても来なくても、いつもちゃんと彼の席を用意していた。


その息子の状況が悪化してそれだけでも辛いのに、サルーまでもが自分から離れて行ってしまう様で、養母は心身ともに打ちのめされ、弱ってしまう。
その事を知って、サルーはやっと実の家族を探したいという自分の気持ちを養母に打ち明ける気になり、彼女のもとを尋ねる。


「僕たちがあなたの本当の子どもじゃないから」というサルーの言葉に、養母は自分がサルーたちを養子にした訳を話す。
彼女自身も幼い頃、アルコール依存症の父に苦しめられていたから、不幸な子供を幸せにしたいと願っていたこと。
そしてある日、お酒を飲んで自分を制御できなくなった父から逃れて畑を見ていた時、雷に打たれたような衝撃を感じ、自分が将来褐色の肌の子供と一緒にいる啓示を受けたのだと言う。


サルーも悩んでいたことを知り、養母は積極的に彼を応援してくれる。


探し疲れて、もう諦めようと何となくグーグル・マップを動かしている時、突然画面の中に見慣れた景色が現れ、やっとサルーは自分の家族のいた場所を見つけ出す事が出来たのだった。
後は映画を見てのお楽しみ。


極貧の生活の中で愛情深く子供たちを育て、行方不明になった息子が帰ってくるかもしれないとスラムの同じ家に住み続け、25年間も息子を待ち続けた実母も素晴らしい。
でもそれ以上に素晴らしいと思ったのは養母です。


実の子供だからどんなに問題児であっても捨てることもできず、何とか育ててなおかつ成人してからも悩まされつつ、心配でもあり、手放せず、悩みつつ一緒にいる母親もいると思います。
もし養子にした子どもがしょっちゅう問題を起こすような子供だったら、この養母の様に理性的な愛情で子供を判断し、忍耐強く接することができるでしょうか、わたしは正直自信がありません。


子供を育てるというのは並大抵の事ではなく、自分の時間も、体力も、多くの事を犠牲にしなければできる事ではありません。
それだけにまた喜びも大きいのですが、自分からその苦労を背負う勇気はありません。


子育てはまさに神の子を育てる、神様へのボランティアなのです。
だから本来は自分の子も人の子もないわけなのですが、人様のお子さんを育てるボランティアはなかなか出来ないことです。


未熟なこの私に、神様はどうしてこんなにも育てにくい難しい子供を託されたのだろうかと恨めしくなるほど、私の息子も難しい子供でした。


占いを勉強してから占ってみると、まるで敵同士のように、ものすごく相性が悪いのです。
こんな二人は、お互いに理解することがとても難しく、よかれと思ってやったことが、お互いすべて裏目に出てしまう様な関係なのです。


これは前世からの強い因縁。なかなか別れられません。
その事に気付いて、どちらかが土俵から降りて相手を全面的に受け入れない限り、この関係を卒業することは出来ません。
敵同士のまま死別してしまうと、また来世で出会い一からやり直しです。


どうしたら普通の親子の様になれるだろうかとずっと悩んできたのですが、ある時、言っても直らないのだったら、もう注意するのをやめようと、一切注意するのをやめました。
そして相手に期待する事もやめました。
約束を守らなくても、注意はせず、私は自分の予定の事をするようにしました。


期待しなければ腹も立ちません。
再び一緒に暮らすようになってから15年以上になりますが、やっとここ数年、お互いにトゲトゲしさがなくなって、優しさや、思いやりの気持ちが感じられるようになってきました。
私は70歳に近くなり、息子ももうすぐ中年になろうとしています。
長い道のりでしたが、努力がちょっぴり報われてきたような気がします。


息子との生活の中で、私は『愛する』という事がどういう事なのか、やっとわかった気がします。
『愛する』とは『相手の気持ちに寄り添う事』『受け入れ赦すこと』『忍耐する事』以外の何ものでもないと思うのです。


それなのに親は子供の幸せを願うあまりに、愛情からとはいえ、子供を躾けようと、自分の価値観を押し付けたり、思い通りにしようとしてしまいがちです。
そこから親子の問題が起こります。
子供の問題の原因の多くは、親自身にあるのかもしれません。


この映画の中の養母は、問題のある養子を理解しようと努め、受け入れようと努め、彼の様々な問題行動を赦し、忍耐を続けています。しかもなさぬ仲なのに、なかなかできる事ではありません。
偉大な母性であり、人として素晴らしい修行をしています。


この映画を見たことも偶然ではありません。
自分の母性を見直し、母性を広げなさいというメッセージなのでしょう。
自分の母性を自分の子供にだけでなく、世の中の子供たちのために少しでも広げていくよう努力しなければと思います。
もちろん、子供に対してだけではなく、普段の生活の中で出会う方たちにも母性を持って接したいと思います。




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