安寿の小径

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私が猫好きになった訳  猫との闘い

4月26日に頂いたうきさんのコメントで、思い出したことがありました。
私が猫好きになった理由です。


今の私は大の猫好きですが、以前は犬派だったんです。
そして猫に対しては、家の中に入られるなど、ノラ猫被害に遭う事があり、良い感情を持っていませんでした。
40代後半のある時期、小さな庭に面した大きな窓の外側に、決まってノラ猫が糞をするようになってしまいました。
ご存知の通り、猫の糞は、それも雑食のノラ猫たちのそれはものすごく臭いのです。


窓を閉めている時はまだいいのですが、窓を開ける季節になると、窓の下の強烈な臭いは部屋に入り込んで、たまったものではないのです。
いやいや始末をしていたのですが、朝ごはんを食べている時にそれが臭ってきて、もう我慢の限界、怒りで何とか奴らを撃退しなければと決意しました。


今は猫が来ないようにプラスチックでできたトゲトゲを売っていますが、その頃は無かったので、腹立ちまぎれの私は、古いバスマットを取り出してきて、悪魔のようにせっせと画びょうをそれにビッシリ刺して、棘を上に向けて窓の下の、猫が糞をする場所に置いておいたのです。


猫たちが恐れをなして窓の下に近づかなくなることを大いに期待していたのですが、翌日私の悪だくみは見事に失敗してしまいました。
また臭ったので窓の下を見てみると、そのバスマットの隅がペロリとめくられ、めくって土が出たところに立派な糞がしてあったのです。


私はノラ猫に負けたと思いました。
何も考えていないようで、結構やるなあと妙に感心してしまい、せっせと画びょうを刺していた昨夜の自分が滑稽に思えて、笑ってしまいました。


ノラ猫たちに意地の悪い仕打ちを企んだ私は、今度はせっせと画びょうを外さなければならず、ビッシリト刺さっている画鋲にうんざりし、怒りがもたらした執念の恐ろしさと、猫にも及ばない自分の浅はかさを思い知ることとなりました。


数日後、今度はアロエの開いた葉の真ん中に、柔らかめの糞がこってりと盛り上がっているではありませんか。
「これを見よ!おれたちはどんな所だってできるんだぜぇ」と言わんばかり。

鉢の直径は20センチくらい、低めではありましたけど、アロエの葉の高さもそのくらいあって、棘もあるし、いったいどんな格好でこんな所にしたのだろうと、心底感心してしまい、また想像するとおかしくて笑ってしまいました。
「猫様、参りました」です。
すっかり戦意を喪失して、猫との闘いは終わりました。

それからは「はいはい、どうぞしてください。始末させていただきますよ」という感じで、トイレの始末をするようになりました。


家が十字路の角にあったせいか、犬の糞の放置もたびたびで、野良犬はいませんから、おそらく飼い犬なのでしょうが、それもその都度始末をしていました。
張り紙をして飼い主に注意しましたが効果はなく、飼い主がいる分腹が立ち、毎回腹を立てつつ始末していましたが、猫の一件から、腹を立てても状況は変わらないなら腹を立てるだけ無駄だと思い、あきらめの境地になり、私は犬猫のトイレの始末をすることで、自分が汚している地球へのカルマのお返しがちょっぴりできるんだと思うようにして、始末する事にしました。


そうこうしている内に、いつの間にか猫が窓の下に糞をしなくなってきました。
それにつれ、不思議な事に、犬の糞の放置もずいぶん減ってきたのです。


ある月の明るい夏の夜、夜中の12時頃、カサコソという音が庭の方から聞こえるのでそっと見てみると、子猫が三匹、庭の木に登ったり、じゃれ合ったりして遊んでいるのです。
母猫なのでしょう、一匹の猫が塀の上で子猫たちをちゃんと見守っています。
その愛らしいこと。
糞の始末のお礼に、猫がこんなにもかわいらしいものを見せてくれるのじゃないかと、私は毎晩楽しみに猫の親子を待つようになりました。


この親子の来訪はそう長く続きませんでしたが、その事がきっかけで、私は近所のノラ猫たちを見るのが楽しみになってきました。
今ではすっかり猫好きで、我が家に通ってくる猫もいます。
ベテランのボランティアさんに教わりながら、餌をやったり、ケガをしている猫に薬を飲ませたりもしています。


この経験で学んだことは、嫌な事があって、それが努力でいかんとも出来ないようなことなら、我慢して受け入れた方が、いつまでも敵対しているより、少なくとも精神的にはずっと楽になることです。
また、それを前向きに引き受けるとかえってその事から解放されることがあるものだという事でした。


この反対に、嫌な事が自分に回ってこないようにと願っていると、かえってそれを引き寄せてしまうことは、前回、3月31日のブログで書いた映画館での出来事の通りです。


誠に、この世で起こる不快な事、一見不幸なことは神様が私たちに課した、自分の弱点に気付くための課題であり、自分磨きのチャンスであります。
その事に気付くと、不安やイライラや恐れなどの否定的な感情から解放され、建設的に対処しようという積極的な気持ちが生まれ、その気持ちに乗って努力すると、物事がスムースに進み、比較的楽に乗り越えられるし、とてもいい結果が得られます。
皆様どうぞお試しください。




      北千住のスピリチュアルな占い師    安 寿