安寿の小径

北千住のスピリチュアルな占い師 安寿のブログ http://anju.cho88.com/

情けは人のためならず

『情けは人のためならず』とよく言いますが、自分の損得を考えず、人の為にやったことというのは、巡り巡って、時には大きく育って、幸せや喜びとなって、本当に、自分の所に返ってきます。


この言葉を知らない人はいないくらいなのに、どれだけの人が、この言葉を真実だと受け止めているでしょうか?


真実だと思える人は、実際にそういう経験をした方じゃないでしょうか。
つまり、人の為に何かしたことのある、親切な人なんだと思います。
また、何かラッキーなことが有ったら、『お陰様』と、感謝できる人なのだと思います。


全く親切にしたことが無い人というのも珍しく、ほとんどの方が、何か人に親切にした経験をお持ちだと思いますが、もしこの言葉が信じられないのであれば、親切にした事と、喜び事があったことを結び付けて考えないからだと思います。


もちろん、見返りを意識して人に親切にすることは、霊の進歩という観点からは好ましくないので、そういう意味では結び付けない考え方をしている人のほうが、完璧に見返りを期待してないので、見返りを期待して親切にする人よりはいいと思います。


むしろ、誰でも初めは何も考えずに親切にするのです。
そしてちょっと嬉しい事が有っても、自分のした親切とそれを結び付けては考えられないのが普通です。


しかし、信じるようになる人は、何度かそれが繰り返されるうちに、はっと気づくのです。
『情けは人のためならず』だなあって、しみじみと。
つまり、気付くほど、人に親切にしているってことです。


先日、いつも行く映画館が満員で、立ち見だと言われ、階段に座って見るのを覚悟で、座布団を借りて中に入り、階段通路の入り口に立ちました。すると、すぐ傍の席が一つ空いているのです。


私が気付いたと同時に、私と並んで立っていた私と同年配らしき女性も気付きました。
一瞬、私は迷いました。2時間余を階段に座るんですから。
でも、神様に喜ばれる自分になろうと、思い切って譲りました。


私が傍に立っていてはその女性が気兼ねだろうと、もう1か所の階段通路の方に移動しました。そこも、すでに前の方から順に座布団を敷いて座っている方たちがいます。
その最後尾に座布団を敷いて、私が腰を下ろそうとした時、すぐ傍から「ここ、空いてますよ」と声がかかりました。


私の他に立っている人もいなかったので、私は気兼ねする事もなく、喜んでてそこに掛けさせていただきました。


その絶妙のタイミング。偶然だとはとても思えません。
なぜって、その席は私がそこに行く前から空いていたはずですし、何人も通路に座っていたのですから、その中の一人が掛ける方が自然です。
まるで私を待っていて声をかけて下さったみたいだなあと思いました。


なんだか、神様に頭を撫でていただいたように嬉しくて、1日中幸せな気分でした。


神様は、多く与える人に、多く与えるのだそうです。
神様より気前のいい人はいないそうです。
本当にそう思います。


分かっているのに、でもでも私、告白すると、まだあと2か所、寄付ができていないのです。ついつい、セーター買っちゃいました。
お腹を空かせた子供たちが待っているのに、水を求めるアフガンの人たちがいるのに、本当にごめんなさい。
来週明けに、郵便局に行って寄付してきます。



       北千住のスピリチュアルな占い師      安 寿