安寿の小径

北千住のスピリチュアルな占い師 安寿のブログ http://anju.cho88.com/

神と供に生きるために

世の中には、スピリチュアリズムを知識としてはご存じなくても、自然とスピリチュアルな生き方をなさっている人は大勢いらっしゃる。

それでは、スピリチュアリズムをご存知の方は、皆、その思想を実践しているのだろうかと考えると、自分も含めて、そうとは言い難い。


もちろんそうありたいと願い、日々そうあろうと努力はしているが、相変わらずエゴが邪魔をし、日々、いや一瞬一瞬がエゴとの戦いである。


自分より貧しい人たち、弱い人たち、助けを必要としている人たちへ、寄付をしたり、援助の手を差し伸べているだろうか?


腹が立つことがあっても、相手を責めずに、自分を反省し、相手の心に寄り添おうと努力しているだろうか?


憎いと思っても、その人を許し、受け入れられるだろうか?


何か親切な事をしてあげても、相手がそれに対して、自分の期待通りの反応をしなかったからといって、怒ったり、がっかりしたりしていないだろうか?


自分の物差しで、人を測って腹を立ててはいないだろうか?


周囲の人の気持ちを考えているだろうか?


状況が悪化しても、不安や心配から自由でいられるだろうか?


自分の弱さを人に転嫁していないだろうか?


と、まあ、どれをとっても、エゴとの戦いは極めて熾烈だ。
自分を高めるのも、引き摺り下ろすのも自分自身なのだ。
死ぬまでその自分との戦いだ。


でもあきらめず、粘り強く理想に向かって努力し続けていくのがこの世に生まれた目的であり、修行だ。
そして、その努力なしには神とは繋がれない。
自分が神聖な、霊的な存在であると実感できない。


エゴを抑えて、利他的に生きることを少しずつでも続けて行けばいくほど、スピリチュアルな体験をしたり、スピリチュアルなインスピレーションが閃き、自分が本当に神に見守られている神聖な存在であることが、薄皮をはぐように、少しずつ、少しずつ分かってくる。


それがある時、堅い殻が破れて、一気に真理に目が開く時が来る。
私はそれを『小さい悟り』と呼んでいるのだが、開眼するのだ。


心底それが分かった時の喜びは、魂が喜びで打ち震えます。もう感動ですよ。
うれし涙がボロボロ。


この喜びを味わったら、もう元へは戻れない。
また味わいたいと思う。そして精進し、また小さな悟りに出会う。
それを何回か繰り返して、人は真理を確信する。


そしてその時から、人は何も恐れなくなるのだ。



今月は本当にお客様が少なくて、寄付するお金が準備できず、やむなく銀行から引き出して、数か所にお金を振り込んだその帰り道、預金残高を見て、心細さがよぎったが、神は私を見捨てない、とその気持ちを打ち消した。
その途端、携帯が鳴って、ほんとに久々にお客様からの予約が入った。
ホント、嘘みたいでしょう?でもホントなんです。


もうこれは、神様が『よく頑張ったね、見てるよ』とお知らせくださったとしか思えない。
神様、ありがとうございます!


こんなに厳しい状況が有るから、来てくださるお客様への感謝も忘れないでいられる。
もしこれが連日長蛇の列だったら、きっと私の事だから、お客様を恨めしくなんか思ったりするだろう。
おテングになって、きっといやな人間に堕落しているに違いない。
傲慢な私には、今月は自分磨きの有り難い月なのだと思えてきた。


どんな時もきっと神様は見守っていて下さるという安心感、幸福感に包まれて、心細さも吹き飛んで、銀行からルンルンで帰ってきた。


知識は実践しなければ、本当の血肉にはならない。
スピリチュアリズムは特に実践あるのみだ。


先は永い。焦らず、まず、今できる事から、始めよう。



       北千住のスピリチュアルな占い師    安 寿