安寿の小径

北千住のスピリチュアルな占い師 安寿のブログ http://anju.cho88.com/

病の床にあっても  「きぼうのいえ」ニュースレターより

山谷のホスピス『きぼうのいえ』から春のニュースレターが届いた。


身寄りもなく、余命に限りのある方々をお世話するスタッフさんたちの奮闘ぶりや、入居者さんたちとの日々の交流、活動が忌憚なく語られていて、私はこのニュースレターを毎回楽しみにしている。


ただでさえお忙しい中、なかなか心を開こうとしない入居者さんたちとも心を通わせ、貴重なお話を聞き取ってくださり、文章にまとめ、ニュースレターに編集するのは、さぞ大変な事だろうと、いつも感心し、感謝して拝見している。


その中で、今回、胸を打たれたお話をご紹介したい。


スタッフWさんとご署名のある方の、末期がん患者であった、若いAさんに関するエッセイである。


Aさんはプロテスタントキリスト者だそうで、病は相当に重かったらしい。


まだお若い方だっただけに、肉体的にも精神的にも『どれほどの苦しみ、悲しみ、痛み、があったことであろうか』とWさんは書いている。


それなのにAさんは、いつもスタッフを気遣い、部屋を出ようとするスタッフさんに微笑みながら『感謝しまーす』と、プロテスタントらしい挨拶を忘れず、病床にあっても、常に誰かの役に立ちたいと願っていたのだという。


『ある時は、訪問看護に訪れた看護師さんの悩みの相談に乗ってあげることができたと』とても嬉しそうだったそうだ。


同じキリスト者として、スタッフのWさんが、何度かAさんの部屋で一緒に祈りをささげた時は、Aさんはその度に周りの方々のために、祈りをささげていたという。


その後Aさんは天国へ旅立って行かれたそうだが、苦しい病の中にあって、いつも周囲を気遣い、微笑みを忘れず、隣人のために祈るという事は、なかなかできる事ではない。


世の中で、どれほど多くの宗教的な争いがあるか、見ればわかるだろう。
『汝の敵を愛せよ』はどうなってるの?
私だって、人の事を批判できない。
飢餓や貧困で、生死の極限にいる子供たちへの寄付を後回しにして、自分のために春もののコートを買ってしまった。ごめんなさーい!
とっても恥ずかしい。


スピリチュアリストであろうが、キリスト者であろうが、仏教徒であろうが、その愛の教えを日々の生活の中で貫いていくのはとても難しい。
常に自分のエゴとの戦いである。


若いAさんが、死の床にあっても人の役に立とうと心がけ、苦しみの中でも神の教えを実践されていたとのだと知って、胸を打たれた。


当然、このエッセイを、私は偶然目にしたのではない。
春の花に浮かれて、世の中の苦しみから目を背けていた私に、守護霊たちが何が大切なのか、何をなすべきかを思い出させてくれたのだと思う。


Aさんは、世間的に見ればきっと「かわいそうな若者」に分類されてしまうに違いない。


でもきっと人生の終わりに、彼はすべてを神の愛の手にゆだね、満ち足りた思いだったと思う。
「かわいそうな若者」どころか、神から愛された、幸せな若者だったと思う。


常に神と共にあり、神の教えを実践するその姿を通して、スタッフの方々やAさんと関わった方々、見ず知らずの私にまで感動を残し、立派に天寿を全うされた、素晴らしい方だったと思う。
天国で、よく頑張りましたねと、神様からお褒めの言葉を頂いているに違いない。


どんな苦しみの中にあっても、神を見失わないAさんのように生きられるよう、私も最善を尽そう。


早速、寄付することはもちろん、日々の生活の中で、少しでも隣人の役にたつ事をしよう。


ニュースレターを下さった『きぼうのいえ』のスタッフのみな様、Wさん、Aさん、緩みかけていた心を引き締めてくださいまして、ありがとうございます。


Aさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。


              北千住のスピリチュアルな占い師   安 寿