安寿の小径

北千住のスピリチュアルな占い師 安寿のブログ http://anju.cho88.com/

大切なのは想像力とポジティブ・シンキング

近所の奥さんが、浮かない顔をして歩いているので声をかけた。
すると先ほど、後ろから来た自転車の若者に、『道の真ん中を歩くんじゃねえ!』と怒鳴られたというのだ。


その奥さんは一年くらい前に足を骨折して、まだしっかりと歩けず、手押し車を使って、ゆっくりゆっくり歩いている人だ。


私の住む下町では、路地に入るとすれ違いもやっとなくらいの狭い道が多い。
その狭い道の真ん中をゆっくり歩いているお年寄りに出くわすと、確かに追い越すのも大変な時がある。
お年寄りは歩くのに一所懸命で、周りの状況に気付きにくいからだ。


そうした狭い道は道の表面が平らでなく、真ん中が高く、両脇に行くにしたがって低くなる、いわゆるかまぼこ型に近い形をしている。
だから、手押し型のショッピングカーやバギーカーなど、小さな車のついたもので道の端を通るのは、低い方に車を取られて非常に歩きにくいし、お年寄りなどは危険でさえある。
それで先ほどの奥さんも道の真ん中を歩いていたのだろう。
お年寄りが道の真ん中を歩くには、若くて元気な人、健康な人には分からない、理由があるのだ。


私が若いころ、新聞の投書欄で、真冬の駅の階段の金属製の手すりが冷たくて、それなしでは歩けない、身体に障害のある人にはとてもつらいのだという記事を読んだことを思い出した。


若くて元気だった私には、駅の階段の手すりがどんな材質なのかなど、気にしたことがなかったから、そういうこともあるのかと驚いたのだった。


ちょっとした思いやりと想像力さえあれば、この世の中、不愉快な思いをすることもずっと減るだろうに、みんな自分の尺度でしかものを考えないから、ぶつかり合ってしまう。


きっと、怒鳴った若者も、どうして老人が道の真ん中を歩かなければならないのか、知らないのだろう。


核家族で、お年寄りや赤ちゃんなど、身体的弱者にかかわった経験が少ない若者が増えていることも、思いやりの気持ちや想像力を欠いてしまう一因かもしれない。


いろいろ考えながら駅の近くの人込みを歩いていたら、すれ違いざま若いお兄さんの手が私の手にぶつかった。
そのお兄さんは私の方を振り返り、「なんだババア、おれの手にぶつかるんじゃねえ」というような目で、私をにらんで行った。


私は、「ババアで悪うござんしたね。若いお姉ちゃんならよかったのにね。ヘヘっ残念でした。」と心の中で笑ってしまった。


「ぶつかる」という同じ事でも、条件によってはその人にとっての良い悪いが全然違ってしまう。
絶世の美女だったら彼は「ラッキー!」と一日中幸せだったかもしれない。
人間とは、まことに勝手なものである。
幸不幸なんてこんなもの。
自分の考え方ひとつで、同じ物事が幸にも不幸にもなってしまう。
一見悪いと見える事でもポジティブに考えた方が幸せ。


私も「息子より若いお兄ちゃんに触れて?もらえて振り向かせたんだから、結構やるじゃん」と不快な思いを笑い飛ばすことにした。


           北千住のスピリチュアルな占い師   安 寿