安寿の小径

北千住のスピリチュアルな占い師 安寿のブログ http://anju.cho88.com/

我が家のコロナ騒動

同居する家族の勤める会社の方の知人がコロナ陽性になり、その会社の方がPCR検査を受けることになりました。

その方はもちろん、仕事で接触していた我が家の家族も自宅待機となりました。

その会社の方がPCR検査陽性となったら、家族も私もPCR検査を受けることになります。

6月22日火曜日の夜に会社からその連絡が入り、私も家族も凍りつきました。

 

通学や通勤など、外に出かけざるを得ない家族がいる人には、常に感染の危険が付きまといます。

通勤の電車の中、職場、昼食をとる食堂、どんなに注意しても防げるものではありません。

「かかる時にはかかるんだ」と覚悟はしていましたが、家族が感染しませんようにと毎日祈っていました。

 

するべきことはすべてやって、それでもかかった時は何か意味のあること、受け入れなければと思いましたが、自分はいいとしても、お昼に一緒にお茶を飲んだ友人たちにもし感染したらつらいなあと、それが一番心配でした。

あの時少し緩いマスクをしていたので、話している途中で、何度かマスクがずれて、マスクなしで話してしまったことが悔やまれました。

 

でも結果はまだわからない。悪い未来を予想することが悪い結果を招くのだから、大丈夫だと信じよう。こんな時こそ日ごろの信仰心が試されるのだと気を取り直して、今やるべきことをしっかりやろうと、とにかく消毒の徹底と当の家族と接触をしないように注意することにしました。

 

でも、自宅待機は酷ですね。部屋を別にして換気に気を付けて、本人が触れたところは、本人に気付かれないよう、あとからこっそり消毒したり、できるだけの注意はしましたが、トイレやお風呂は大変でした。

お年寄りや赤ちゃんや子供さんがいる人ならもっと厳しいでしょう。

想像はしていましたが、現実はかなり大変でした。

猫を飼っていたので、消毒用のアルコールや除菌ティッシュがたっぷりあったので助かりました。クロちゃんのお蔭です。

 

本人の部屋の前に食事を置いておく大きめのお盆が無くてラインで友人に窮状を訴えたら、早速その夜、友人の一人が自宅に届けてくれたのには本当に感謝しました。またこんな時のラインの便利さにも救われました。

 

お陰様で、会社の方のPCR検査の結果が陰性だったので、本当に助かりました。

「命拾いした」という言葉が大げさではないような心境でした。

 

私たち家族の闘いは3日間と短いものでしたが、この状態が2週間もそれ以上も続くのはどれだけ大変だろうと思い知りました。

私たちもまだまだ油断はできません。今まで以上に気を付けようと気持ちを引き締めました。

皆様もどうか油断なさいませんように。

世界中で、1日も早くコロナウイルスが終息するよう今日も祈っています。

 

 

 

           北千住のスピリチュアルな占い師   安 寿

 

瞑想しよう!

コロナウイルスのお蔭でというのも変ですが、出かけられない分、いつもより時間に余裕ができましたので、この所瞑想する回数が増えました。

 

瞑想にはいろいろなやり方があり、自分に合ったやり方でやればいいと思います。

要するに、日ごろの雑用や雑念から解放され、身も心もリラックスできればいいのですから。

 

深い瞑想状態に入ることができると、瞑想が終わった後、気持ちも身体も軽くなるのが不思議です。

私の場合、1時間くらいは同じ姿勢でほとんど動かず座り続けるのですから、腰が痛くなったり、背中や肩が凝ったりしても不思議はありませんが、軽い運動をした後のように身体が軽くなり、ぐっすり眠った後の目覚めのように、すっきりとした気分になります。

 

目を閉じて深い呼吸を繰り返しながら次第に雑念を遠ざけ、瞑想状態に入っていくというのが瞑想の基本で、いつでもどこでもその気になればできるので、最も簡単ですが、雑念を払うのが瞑想初心者には難しいかもしれません。

 

瞑想を始めたばかりの人や若い人には誘導瞑想が人気のようです。

瞑想を誘導する人の言葉に従って、徐々に瞑想を進めていくやり方で、YouTubeにもいくつか紹介されていますから、興味のある方は試してみてください。

 

誘導瞑想は瞑想する目的が決まっていて、その目的に即した瞑想をするという感じです。

私の勉強会でも、時々やって楽しんだりすることもあります。

よくやるのが森の中の道を歩いていき、そこでいろいろなものに出会ったり発見したりして、その時、その人の想像した事や発見したものなどによって、その人の心の在り方や、その時の願望や、対象物に対する考え方を知るというものです。

例えば、

「森の中を歩きます。その森はどんな森ですか?何がありますか?何か聞こえますか?」

などと、その人の想像力を喚起するような言葉がけをして、森の中の道を歩いていく想像の世界に誘導しながら、その人の様々な気持ちに気付かせるなど、ある意味では瞑想を利用した心理テストと言えるかもしれません。

 

これはこれで隠れた気持ちを引き出すのに有効な方法だと思います。

 

しかし、誰かの言葉を聞きながらというのは、どうしても深い瞑想状態には入れません。

瞑想の基本は自我からの解放、無我の境地だと思うのです。それが究極のリラックスです。

 

人によってやり方は様々ですが、私の場合はまずゆっくりとした呼吸を繰り返します。その時、気持ちを集中するために呼吸を数えます。

それでも雑念が湧いてきます。湧いてくるのが普通です。「終わったら買い物に行こう」とか、次から次と雑念が浮かんできます。だから何かに意識を集中することが必要です。

呼吸を数えるとか何かシンボルを思い浮かべるとか、音楽を聴くとか、何かに意識を集中してください。

言葉のある音楽だと感情が涌き、雑念が湧くので、歌ではない楽器演奏のもの、モダンジャズや現代音楽的なものがいいようです。

とにかく雑念が湧いたら呼吸を数えることやシンボルを見つめることに意識を戻す、湧いたら戻すを繰り返していくのです。

 

辛抱強くやっているとだんだん雑念が湧かなくなっていき、呼吸やシンボルに意識が集中していきます。

集中していくにつれて呼吸が浅くなっていき、耳は聞こえますが体の感覚は遠ざかっていき、周囲に溶け込んだようになっていきます。

そうなると私は光にすっぽりと包まれたような感じになり、非常な幸福感に満たされます。

感謝の涙が無意識のうちに流れていることもあります。

私の意識が広がり、無限の宇宙に溶け込んでいるようになりますが、不安はありません。

とても幸せです。現実に戻りたくないような恍惚感ですが、しばらくその中に漂っていると、徐々に世界が小さくなっていき、現実に戻ってきます。

戻った後もその時の幸福感や満足感が心身に残って、とてもすがすがしい目覚めを迎えます。

 

その時々の集中力で違いますが、雑念が去るまでは、私の場合、最低でも10分弱はかかると思います。

1時間座っていても、雑念ばかりで失敗の時もありますし、もっと浅い程度で終わる時もありますし、今でもいろいろですが、うまくいったときの恍惚感は、ぜひ一人でも多くの方に味わっていただきたいと思います。

 

その時にメッセージ的なものが感じられることもあります。

いやなことがあった時など、心のバランスをとるために瞑想することも多いのですが、10年位前、人間関係ですごく傷ついた時の瞑想で忘れられないものがあります。

恍惚感の中で、『善いものだけを受け取りなさい』というメッセージを受けた時は、感動で涙が止まりませんでした。

これは言葉で降りてくるのではなく、そういう全体の意味を一瞬でパッと感じるというか、理解するというか、テレパシーという感じなのでしょうか。

 

その人から、たくさん善いものも受け取っていたのに、悪いものばかりに目が行って、善いものを頂いたことを忘れていた自分に気が付きました。

その時のわたしは、善いものを捨てて、悪いものだけを手にして、それを嘆いていたのです。

その時目の前に置かれた善いものと悪いもの、どちらを手に取るかは私自身の選択です。

その事に気付かされたのです。

善いものだけを選んでいくようにすれば、自分が傷つくこともありません。不幸になることもありません。

世界は善いもので満ちるのですから。

 

あの時以来、私はできるだけ善いものをだけを受け取るように気を付けています。

お陰様で、不自由な毎日ですが、今日も幸せに生きています。

 

 

 

             北千住のスピリチュアルな占い師   安 寿

 

 

 

ペットロス?

友人にも心配されていましたし、私自身も鬱になるのではないかと心配だったのですが、案外ペットロスもそれほどではなく、今はクロが我が家に来る前の生活に戻っています。

 

クロがいたころは、目覚めるとすぐ、待ち構えていたクロを撫でてやらねばなりません。

最低でも5分は撫でてやらないと恨めしそうに、いつまでもその場所を動かないのです。

それから猫トイレの清掃や餌場の清掃、餌やりなど、忙しい朝の時間を30分近く取られていました。

 

今はその時間、布団の上で音楽を聴きながらストレッチ体操です。

それは自由で嬉しい時間なのですが、目覚めた時に「あっ、クロはいないんだ」と思い、いるべきものがいないもの足りなさを感じるのです。

 

夜鳴きに悩まされたり、あちこちに毛玉を吐かれたり、ウンチを踏んだ足で寝具の上を歩かれたり、泣きたくなるような場面もありましたが、そんなことはみんな忘れてしまうもののようです。

 

クロと暮らした8年の間に身に付いた習慣、例えば、音もなく後ろにいたりするので、バックする時は動く前にまず後ろ下を見るとか、足を組んだり、足を移動させる時は、猫を蹴飛ばさないように注意するとか、室温をこまめに確認するとか、猫のための細かな気遣いが沁みついていて、ふとした瞬間にそれが出て「あっ、クロはいないんだ」と思わされるのです。

 

自分を縛っていた面倒なものから解き放たれ、何の気遣いも心配もなくなって、いつでも旅行に行けるし「もう余計な心配をしなくていいのだ」と自由になって嬉しいはずなのに、手放しで喜ぶ気持ちにはなれません。

出かけるときも、ふと留守中の猫の心配をしている私、目の隅に黒いものがちらりと見えると、クロかもしれないと反射的にそちらを確認してしまう私。

毎日が深い悲しみに閉ざされているわけではありませんが、料理を食べていて、何か一味足りないような物足りなさを感じている日々です。

 

精神世界の勉強をしていたおかげで、クロがあちらの世界で幸せに暮らしていると心から信じているので、会えない悲しみはありません。

でも、これっきりですか?

精神世界の本によると、愛する人が亡くなると、亡くなった方からの「私はいなくなってないよ。ここにいるから心配しないで」みたいな合図を、残された人の内、60から70パーセントくらいの人が受け取っているといいます。

 

私自身も、母が亡くなった後、母のつけていた香水の匂いや風鈴の音などで母から何度も合図をもらいました。

母の死を、母の実家のお墓に報告したとき、風もないのに蘇東坡が「了解!」というようにカタカタ鳴りました。

そんな経験があって、私は死後の世界を確信していますし、死者からのメッセージや合図も確信しています。

 

動物だって合図を送ってくることがあるのではないでしょうか?

クロがしっかり成仏してくれたことはとてもうれしいのですが、何かもの足りない。

 

いけないことと思いつつも、そんな思いをずっと引きずっていた昨日の朝、植木に水をやっていると大きなキアゲハがひらひら飛んできて、私の近くを飛び回るのです。植木は葉物ばかりで花はないのに、なかなか去ろうとしません。

 

そのキアゲハは大きいだけで目立つのに、きれいな黄色に黒い模様のはっきりしたかなり目立つ色をしていました。

後で調べると、普通、夏の終わり近くになると黄色が濃くなるというのですが、そのキアゲハは目の覚めるような美しい黄色でした。

 

私はすぐにクロだと思いました。亡くなった時、クロ頭の所に黄色い大きなガーベラの花を置いてやったのをすぐに連想したからです。

そのガーベラの花のようなはっきりした黄色が目に飛び込んできたのですから。

「クロ、来てくれたのね。ありがとうね。元気でやるんだよ。」と呼びかけると、私の頭上近くをぐるりと回って、西の方にヒラヒラと優雅に舞い上がりました。

 

3メートル弱の道路を挟んだ西隣りは3階建ての大きな家です。チョウチョってあんなに高く飛べるんだと思うくらい急上昇して、見えなくなりました。

 

私は胸がいっぱいになって、通行人の目もはばからず、泣いていました。

クロの気持ちが嬉しかったのです。

でもすぐに、亡くなったばかりの御霊の妨げになるようなことを望んではいけないと反省しました。

クロもあの世で頑張っているのだから、私もメソメソしていられません。

 

とりあえず、3月から8月に延期になった発表会に向けて、歌の練習をしなければ。

この2月から、なぜだかまったく歌う気になれず、ほとんど練習していませんでしたから。

 

発表会で歌う歌の一曲の歌詞が問題。

フォーレの『夢のあとに』というとても美しい曲なんですが、一夜の神秘的な出会いを思い返し、

『戻ってきておくれ、輝きよ 戻れ 神秘の夜よ』という歌詞で終わる、大変ロマンチックな歌なのですけれど…。

 

『戻ってきておくれ』なんて、クロが聞いたら大変。日本語じゃなくてフランス語で歌うので助かりました。

クロには多分、分からないだろうし、私は、慣れない外国語で実感が湧きませんから、舞台の上で泣き出す心配はなさそうです。

頑張ります!

 

 

 

               北千住のスピリチュアルな占い師  安 寿

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

怪猫クロちゃん 逝く

我が家の長寿猫クロちゃんが、5月22日午前零時13分に亡くなりました。23歳1か月でした。

 

5月にしては暑い日が続き、そして急に寒くなり、クーラーをつけたり、暖房にしたり、室温調節にも気遣う日々が続いていましたが、昨年の12月から体に水が溜まっていたクロにはこの気温変化が、やはり厳しかったのでしょう。

また少しずつお腹が膨らんできて、食欲も落ちてきたので17日病院へ連れて行きました。

胸水と腹水を抜いてもらい、少し元気になったのでほっとしました。

 

先生が万が一のためという事で、酸素室のレンタルについてお話しくださったのですが、私は今までクロが何度も危機を乗り越えてきたことから、まだ大丈夫、使うにしてもまだ先の事だろうという気持ちで先生のお話を伺っていました。

 

でも先生は、やはりクロの状態を正しく診ていらしたのだと思います。

病院に行った翌日あたりから、クロの食が細り始めました。

 

それでも今まで通り、私が朝目覚めた時や、買い物から帰った時など、「よいしょ」とばかり体を起こし、立ち上がって、一歩一歩体をゆするようにして歩きながら私に近づいてきます。

元気なころはよく鳴いていろいろ要求する猫で、それが人間の話し言葉に似ていて、時々びっくりしたものです。

特に朝は「オニャニョー」と鳴いて私を起こすこともしばしばでした。

 

体に水が溜まってからはほとんど鳴くこともなくなり、時々喉の奥から「クウー」という子猫のようなかわいい声を出します。

目も見えないはずなのに、ちゃんと私のそばに来てじっと見つめるのです。

 

以前なら子犬のようにペロペロ私を舐めたのですが、毛づくろいもほとんどしなくなった今は、見えない目でじっと私を見て、撫でて欲しいと無言で訴えるのです。

体がしんどくて、撫でてもらうと気持ちがよかったのでしょうね。

 

亡くなる2日前からはほとんど何も食べなくなり、水も飲まなくなり、それでもトイレだけは自分で行こうとします。

でも用を足すと疲れて、トイレから出るのもやっとで、出ると床にべったりと寝そべってしまいます。

最後になった大便の時は腰を支えてやったのですが、し終わると、そのままトイレの中に突っ伏してしまいました。

全力を出し切ったという感じです。

プライドの高いクロはオムツを嫌がったので、吸水シートを敷き詰めて失敗しても大丈夫な準備はしていましたが、おもらししたのは一回だけで、最後までトイレで用を足していました。

 

飲まず食わずですからトイレの回数も少なくなり、ほとんど眠っていました。

亡くなる前日は、ほぼ昏睡状態という感じで、時折目を覚まし顔を上げて周りを見回すようにするのですが、もう意識は飛んでいるようで、時折「クゥー、クゥー」と喉の奥から声が漏れる感じで鳴いていました。

 

午前零時を過ぎたので、そろそろ寝ようかと寝る前のお祈りを始めた時です。

鳴き声を上げながら、2,3度のけぞるように全身を伸ばした後、クロの呼吸が止まりました。

肺にも水が溜まっていたにもかかわらず、呼吸が苦しそうになることはなく、結局、酸素室は使わずに済みました。

この状態の猫なら、普通はきっと酸素を使うようになったのではないかと思います。

 

長寿猫のクロは病院でも注目されていて、院長先生が「この子はすごいですねえ」といつも感心してくださったのですが、今度のことをお話したら、またきっとそう言ってクロをほめてくださるような気がします。

 

最期の時まで、あまり苦しそうではなかったことが本当に救いです。

きっと今まで頑張ってきたクロを神様が祝福してくださったのでしょう。

 

用意した段ボール箱にバスタオルを敷いて、クロを寝かせました。

クロと最後の夜を過ごしながら、クロと過ごした長いような短いような8年間を思い返していました。

前の飼い主が認知症で施設に入ることになり、飼っていた猫の引き取り手がいないので、クリスマスの夜、息子がクロを連れてきました。

その飼い主も、三年前に亡くなり、そういえば、21日がその方の月命日でした。

クロがあまり苦しまないうちにその方が連れて行ってくださったのかもしれません。

 

店が開くのを待って花を買ってきて、色とりどりの花で華やかにクロの遺体を飾ってやりました。

「よかったね。」「やっと楽になれたね。」「よく頑張ったね。」とクロをねぎらいながら、一つ一つ花を置いていきました。

 

動物霊園の車が迎えに来たときは、涙が止まらず、体をなでてやると、冷たくもなくふわふわしていて、生きているようでした。

お別れの言葉は「ありがとう」です。クロに対しては感謝の気持ちしかありません。

 

翌朝、悲しみというよりも喪失感の方がつらくて、ぼんやり遅い朝ご飯を食べていたところ、思いがけずクロがお世話になっていた動物病院から素敵な花束が届きました。ブルーを基調にしたピンクの濃淡の小さな花がかわいらしい華やかで美しい花束で、一目で気持ちが和みました。

早速クロが寝ていた窓辺の床の上に飾りました。

 

花の美しさが、こんなに心に沁みたことはありませんでした。

病院の先生方のお心遣いが本当にうれしかったです。

先生たちにかわいがられて、クロは幸せでした。

 

その花をぼんやり見ていたら

「乙女のように若返って、この花みたいに可愛くなったよ。幸せにやっているから心配しないでね。ありがとう」とクロからのメッセージがきたような気がしました。

古い重い肉体を脱ぎ捨てて、クロは本当に乙女のように軽やかに花園で遊んでいるに違いありません。

 

49日まではその辺をうろちょろしてるんじゃないかという期待から、夜寝るたびに、「足音くらい聞かせてよ」とクロに呼び掛けているのですが、さっさと成仏してしまったようで、全く気配を感じません。

姉の所のワンちゃんは、新盆に姿を現したので、私も新盆に期待できるかもしれません。

でもツンデレの猫は、やっぱり無理かも。それでいいのですね。

 

 

 

                  北千住のスピリチュアルな占い師   安 寿

 

自粛生活もいいけれど

外出自粛生活2ヶ月半、その生活を結構楽しんでいる自分に気付いて、「私って、本質はオタクなのかも」と新たな自分を発見しました。

 

いつもだと習い事や自彊術、友人たちとの体操やランチ、お茶、それと占いの仕事と、毎日のように何らかの予定が入っていて、その合間を縫ってスポーツジムに行くので、落ち着いて家で1日過ごすという日は、ほとんどない状態でした。

それが今は全部なくなって、予定はお医者様の予約のみという感じです。

 

皆さんそうだったように、自粛生活の始めの頃は私も家の中掃除や整理や断捨離、模様替え、衣替えなどで結構忙しかったのですが、半ばを過ぎるとそれもなくなり、今までなかなか時間を取れなかった事ができるようになりました。

買ってきては積読していた本を読み、ゆっくりと瞑想する時間もできました。

落ち込んだ気分の時には、スピリチュアルな本を読んで瞑想するのが一番ですね。とても幸せな気分になり、元気が湧いてきます。

 

朝、ゆっくりお茶を楽しみながら新聞を読む贅沢な時間もできました。

体力が落ちないようにウォーキングしたり、ストレッチしたり、音楽を聴いたり、ビデオを見たり、1日があっという間に過ぎていきます。

 

あんなに外食大好きで、カフェも好きであちこち行っていたのに、今は行く気がしなくて、嫌いだった料理も結構楽しんでやっています。

私は料理が嫌いだったのではなくて、いつも時間にせかされて、慌てて作っていたので、料理嫌いになっていたのだと気が付きました。

時間を気にしないで暮らせる贅沢を楽しんでいます。

 

気ままに暮らす楽しさを支えてくれているのは、やっぱりご近所の方々。

おしゃべり大好きの私ですから、全く誰とも口をきかない生活なんて我慢できませんが、そこは下町の良さ。

植木に水をやったり、ゴミを出しに行ったり、買い物に行ったり、外に出るたびに誰かと出会い、何気ないおしゃべりに元気をもらっています。

 

年を取ると入浴券というのが送られてきて、月に3回、120円で銭湯に入れます。

今までは利用したことがなかったのですが、スポーツジムの大きなお風呂に入れなくなったので、銭湯に行くことにしました。

 

昔は銭湯のお湯は熱くて、水でうめようとすると、怖いおばあさんが「ぬるくなる。」と怒るので大変でしたが、今は42度くらいのちょうどいい温度で、しかもジェットバス。

クスリ湯がちょっとした露天風呂風になっていて、温まりながら外の風が感じられます。

お風呂から上がったら100円でマッサージ。

ちょっとした温泉気分です。

私の家から徒歩10分以内に4軒も銭湯があるので、この次はどこに行こうかなと迷うのも楽しみ。

こんな喜びも下町に生まれたお蔭です。

若い時は山の手のおしゃれな街にあこがれていましたけれど、今年を取ってみると、病院や商店がたくさんあって、交通の便が良く、物価が安く、気取らない人たちが集まっているこの下町が大好きになりました。

 

しかし、こんなにどこへも行かず、外食もせず、カフェにも行かないのに、なぜか生活は以前より厳しくなりました。

もともと多くはないお客様だったとはいえ、それでもお小遣い程度の収入はあったのに、今は開店休業状態ですから。

 

本当に経済のことを考えると、世の中大変です。

医療崩壊も怖いですし、やっぱりコロナウイルスには早く終息していただかねばなりません。

そのためにももうしばらく自粛生活をつづけ、暑くてもマスクをして、お店に入る時には手をアルコール消毒して、商品にはなるべく触らないようにしてと、今できる努力を励行するのみです。

 

 

 

          北千住のスピリチュアルな占い師    安 寿

 

安倍のマスク届きました!

安倍のマスクが届きました。

一世帯2枚という事で、4人家族は足りませんね。

1枚200円もするんだそうです。

最近、薬局以外の店で、マスクが売られるようになってきました。

先日私は町で、50枚3300円の不識布のマスクを買いました。1枚66円です。それでも50枚1000円以下で買っていたことを思い、買うのを一瞬ためらいましたが。

安倍さんずいぶん高く売りつけられましたね。お坊ちゃまには貨幣価値分からないのかも。

 

ウイルスを寄せ付けない高性能のマスクなら許せますが、ただの目の詰んだガーゼのような感じです。

しかも、布は普通の不識布マスクより5センチほど短く、その分ひもが長く、普通のものの1.5倍はあるので、顔の小さい私には緩い感じ。

布も、何か糊のようなにおいが強く、また固く突っ張っているので洗ったのですが、それでも強張っていて顔にフィットしません。

幅も足りず、鼻を隠せば顎が出て、顎を隠せば鼻が出る、ほほに当たるところも布が固いせいか、耳にひもをかけると、ひもに引っ張られて三角の隙間ができてしまいます。

鼻の両脇もしっかり隙間をふさいで、鼻から顎にかけてぴったり隙間なく覆わなくては予防の効果はありません。

これならまだ、私の持っているガーゼのマスクの方が顔にフィットします。

あれこれやりましたが、最後は「だめだこりゃ!」とさじを投げました。

 

こんなものに466億円も血税を使ったのですか?心底怒りがこみ上げてきました。

国民にはお金を出し渋るくせに、自分の「やってますパフォーマンス」には平気で税金を無駄遣いするんですね。

学生や飲食店、非正規雇用の人など、多くの国民が、今どれほど苦しい思いをしているのか、お坊ちゃま君にはわからないのでしょうね。

 

韓国や中国や台湾のように素早い対策をとった国々を見習って、簡単にPCR検査が受けられるような施設を作ったり、軽度の人が安心して治療を受けられる施設を作ったり、税金の使い道はいくらでもありますよね。

何でこんな役に立たないマスクなの!

 

国の出方を見ていて、しびれを切らした各自治体が動き始めてから、それでもなかなか動かず、2か月過ぎてやっと動き始める危機感の無さ。

誰が考えたって、陽性の人を自宅で看るなんて危険すぎるのに、医療崩壊が起きるなどとうそぶき、PCR検査もなかなか受けられず、自宅待機を強要して、とうとう犠牲者が出てしまいました。

 

その一方で、親や教師の準備、子供たちの心の準備も考えず、いきなりの一斉休校要請。あれも安倍ちゃんの「やってますパフォーマンス」でしょう。なんにも現場のこと、当事者たちのことを考えてないですよね。

 

本当に日本の政治はひどい事になってます。

今の政権に、コロナの後の日本を任せられません。

今は選挙も難しいですが、そのチャンスが来たときは、日本の政治どうすべきか、だれに任せたらよいか真剣に考えなければ、日本は危ういです。

 

コロナウイルス流行の世界的危機は、私たちに厳しい経験を強いました。

しかしその苦しい経験から、気づくことや学ぶことも少なくないと思います。

その気づきを忘れないで、コロナ後の新しい日本に希望をつなぎたいと思います。

 

 

 

              北千住のスピリチュアルな占い師    安 寿

猫又になりそうな長寿猫、クロちゃん頑張ってます!

今月で満23歳になる我が家の飼い猫クロは、お医者様も驚くほどの回復ぶりを見せています。

相変わらず、腹水も胸水も溜まっているのですが、1月から2度ほど抜いただけで、両手足のぶくぶく状態はなくなり、お腹の膨らみもまずまずの状態で、3月、4月は胸水腹水共に抜かなくてもいい状態になっています。

 

血液検査をすると、相変わらず心臓と腎臓の数値は基準値の2倍くらい悪いのですが、悪いなりに少し数値が下がり、尿毒症の危険からちょっぴり遠ざかりました。脱水状態も安全圏に入っています。

 

あんなにがつがつ食べているのに太らないのは、甲状腺機能亢進症だからだそうで、それは体がバランスをとっているのだから、特に治療しないでおきましょうとのことでした。

ふつうは腹水が溜まると食べなくなりそれで亡くなってしまうのだそうですが、さすが怪猫!甲状腺まで働かせてすごい!。

 

右後ろ脚から漏れていた体液は止まりましたが、右後ろ脚の人の肘のように曲がる関節から下、穴が開いていた部分は、毛皮が剥がれ、痛々しいピンク色の棒になってしまいました。

床と接する関節部分が擦れて傷になり、心配していたのですが、これまた塗り薬がよく効いて、4月ごろから黒い産毛が生え始め、今では、全体がツヤツヤの黒い短毛で覆われて、毛が短い分細く見え、足先の爪がやけに目立ちますが、元気に歩けるようになりました。

 

なので、オシメもやめてトイレは自分で行っています。

目が悪いせいか、おしっこがトイレの外に出てしまうこともありますが、そこはワンちゃん用吸水シートを活用。

でもなぜか、最近ウンチをトイレの外でするようになって、ちょっと困っています。

短毛に覆われた右後ろ脚が調子悪く、猫砂の中であまり踏ん張れないからでしょうか?

 

この3か月ほど、ほとんど鳴かなかったのですが、時々子猫のような、ものすごくかわいい声で、「クークー」と鳴くようになり、最近では、「ニャー、ニャー」と普通に鳴けるようになりましたが、その声は前のしわがれたような「ギャー」に近い声ではなく、高くかわいい声になって、排便の後など、以前のように鳴いて知らせるようになりました。

 

今朝5時ごろ、耳元で「クークー」と鳴くので目を覚ますと、クロが私の顔を覗き込んでいます。

でも、いつもなら暗闇の中に見える、マスカットグリーンに光る2つの眼が見えません。

その瞬間、「ああ、クロは本当に目が見えなくなっていたんだ」と気づき、悲しくて、切なくて、愛しくて、胸がいっぱいになりました。

 

去年から、クロの目が見えていないことに気付いていましたが、それほど不自由を感じている様子もなかったので、少しは見えているのかと思っていましたが、まったく光を失っていたのです。

 

本当は抱きしめたかったのですが、クロは抱っこが嫌いです。

よその猫ちゃんみたいに、お腹を見せることもありません。

手足に触れられるのも嫌がるので、爪を切るときは洗濯物のネットに入れて、大騒ぎになります。

なので、心からの愛しさと、感謝といたわりの気持ちを込めて、背中を撫でてやりました。

 

先日中国の武漢で、100歳以上のお年寄りが7人、コロナウイルスを克服して退院したという報道がありましたが、人間も動物も、長生きするする人は、すごい遺伝子を持っているのじゃないかとクロを見てそう感じます。

 

とはいえ、お医者様には、「クロの心臓がいつまでもつかわからない。急に止まることもある。」と言われているので安心できませんが、呼吸が荒いわけでもなく、まだまだ今年は大丈夫なのじゃないかという気がします。

 

という事は、私も頑張らなくちゃです。クロをおいて、私が先に逝くわけにはいきませんし、入院だって2週間もできません。

人それぞれに背負っているものがありますから、世界中の人がみんな同じ思いだと思いますが、特に幼い子供を持つ親御さんたちは、切実でしょうね。

ウイルスに負けないよう「頑張らなくちゃ!」ですね。

ウイルス感染の1日も早い終息を、今日も祈ります。

 

 

       

                  北千住のスピリチュアルな占い師     安 寿