安寿の小径

北千住のスピリチュアルな占い師 安寿のブログ http://anju.cho88.com/

小さな事故が続いた時

不思議な転び方をしたことを前にお伝えしましたが、その時の肩の痛みが取れてきたころ、また不思議なケガをしました。

 

シャワーを浴びている時、ワイヤーでできたシャンプー台の石鹼を載せる部分に左手の親指をぶつけたところ、チクッとして、血がにじんできたのです。

傷を見ると、親指の爪の下ぎりぎりの所をナイフで切ったような5ミリ程度の傷がありました。

何かとがったものがあったかと、ぶつけたあたりを確認しましたが、楕円形のトレイが、楕円形の丸いワイヤーで支えられているだけです。恐る恐るそっとワイヤーを撫でてみたのですが、指に触れるものはワイヤー以外何もありませんでした。

 

お湯を浴びていたせいか結構血が出てそれを止める術もなく、左手を上にあげ、お湯をかけないようにしながらさっさとお風呂を済ませ、すぐに消毒して傷テープを貼りましたが、テープのガーゼが赤くなるくらい、出血していました。

 

その後、息子にも確認してもらったのですが、やはり手を切るようなものは何もないとの事でした。

 

なんだか妙なケガが続きます。左肩、左手と身体の左側です。

霊的なものかもしれないと思い、久しぶりに瞑想して自分の守護霊様に伺う事にしました。

 

早く答えが知りたくて、急ぎ深い瞑想に入りたいという焦りがあったせいで、かえってなかなか集中できずイライラしたその時、ハッと気付きました。

転んだのも、指を切ったのも悪霊なんかではない、守護霊様たちに気付きを促されたのだと。

 

最近、私は自分が時間に追いまくられているようで、毎日何となく焦りを感じていたのです。

大したものは作りませんが、バランスを考えた食事、運動、新聞を読んで社会状況の把握、趣味の歌の練習、読書、それに買い物と病院通い、結構毎日忙しいのです。

 

新聞も本も読みたいと思うのですが、最近は気付くと居眠りしていることが多くて、時間のロスだと、自分で自分に腹が立つことが増えていました。

 

ケガをしたおかげで運動の時間が減り、その分、新聞や本が読めました。

居眠りするのは運動して、身体が疲れていたせいだとも分かりました。

 

焦るのをやめて、ゆっくり大きく呼吸を繰り返すうちにだんだん深い瞑想に入っていきました。広い宇宙を漂うような心地よい時間。やがて真っ白い光に包まれて、至福そのものの時が来ます。それが私の瞑想のゴールです。感激で涙が流れる時もあります。

 

今日は瞑想を始めてから終わるまで30分くらいでした。

瞑想すると、なぜか身体もとても楽になります。心の緊張がなくなるせいで、身体の緊張も取れるからなのでしょうね。

 

左手の親指を切ったのは赤い血の流れている自分である事を思い出すためだったようです。

血液は全身を巡り、老廃物を受け取り、新鮮な酸素を身体の隅々まで届けます。

つまり生きている証、生きるとはそういうこと。

様々な状況をありのままに受け入れるとともに、新たな喜びを受け取って生きなさいというメッセージだと思いました。

 

つまり今回の事故は、わたしが自分の年齢の許容量も考えず、自分自身の肉体を省みず、自分の楽しみを後回しにして、あれもこれも完璧にやろうとして頑張り過ぎていたので、それに気付かせるための守護霊様たちのお計らいだったようです。

 

一方、スピリチュアリズムでは、小さなケガや事故の多くは、自分の罪悪感や自分を責める気持ちを中和するために自分で引き寄せるとも言います。

そうかもしれません。

 

どう考えるかはそれぞれにお任せします。ただ、悪霊たちでなかったことだけは確かなので、彼らにお詫びしておきます。

 

 

 

          北千住のスピリチュアルな占い師    安 寿

不思議な体験

3月9日に突然転んで、あの時の転び方がどうも不思議で、あの後現場を確かめに行ったのですが、やはりツルツル滑るようなところではなく、納得がいかなくて姉に話したところ、姉も何年か前、温泉に入ろうとしたとき、まるで両足を誰かに掴まれて持ち上げられたように、頭から温泉に突っ込まれた感じで、手首を骨折したのだそうです。

 

姉もやはりその事が腑に落ちなくて、その場にいた友人たちに状況を聞いたそうなのですが、誰もその瞬間を見ていた人がいなくて、『足を滑らしたんじゃないの?』と言われ、なんだか悔しかったと言ってました。

 

その時の話は私も当時姉から聞いていて、今回思い出しました。

その時の不思議な状態を一所懸命力説する姉には申し訳なっかたのですが、当時の私は不思議がる姉の気持ちに寄り添う事が出来なくて、口には出しませんでしたが、何かで滑ったはずみだったのだろうと思っていました。

 

でも今なら不思議な『魔の瞬間』みたいなものはあるのかもしれないと思います。

 

そんなことを考えていたせいでしょうか、先日、偶然、佐藤愛子さんの『こんなふうに死にたい』(新潮文庫)という本を読み、佐藤さんの霊的な体験を知ることになりました。

 

それまで佐藤愛子さんの事はテレビで見たり、雑誌で読んだりしていて、何事に対してもはっきりとご意見をおっしゃる、気持ちの良い方だと思っていましたが、ご著書を読んだことはありませんでした。

 

私は以前から人の死に方に興味があって、そのたぐいの本をいろいろ読んでいましたので、あんなに元気がよいさっぱりした佐藤さんが、どんな風に死を考えているのか興味が湧いて手にしたのです。

 

ところが読んでみると、多くのページが割かれていたのは、佐藤さんの死に対する考え方というよりも、佐藤愛子さんの霊的な不思議体験だったのです。

 

いや、不思議体験などという夢のような甘ったるいものではございません。佐藤さんと霊たちとの何年にもわたるすさまじい闘いの記録といった方が正しいと思います。

 

佐藤さんは必死なのですが、読んでいるこちらはその時の佐藤さんのご様子を想像して、時には思わず吹き出しまうくらい、とにかく佐藤さんの戦いぶりは勇ましいものでした。

さすが佐藤さんだと思いました。

後で彼女の生年月日から宿命を出してみて、大いに納得。

エネルギー値がすごく大きく、車で言えば、建設用の重機を運ぶタイヤがいくつも付いたトラックみたいな車。

宿命を絵にしてみると、せりあがるマグマで沸騰している巨大なカルデラ湖と沸騰する海みたいな方でした。

御年100歳とか、さもありなんです。

 

一つ嬉しかったのは、佐藤さんと私、誕生日が同じでした。

生まれ年が違えば宿命は全然違うのですけれど、戌月、午日の生まれであることは共通。

エネルギー値も星も全然違いますが、ちょっぴり似ているところも有り、なんか嬉しいです。

 

私は小型自動車ですから佐藤さんの真似はできませんが、困難に立ち向かう勇気と、正直で、まっすぐな気持ちはお手本にしたいと思います。

 

『自分の不注意を、俺たちのせいにするな!』と悪霊たちから文句が来そうですが、悪霊は結構私たちの身近にいて、私たちの心の闇に入り込むそうですから、悪霊たちに狙われないように、なるべく明るい気持ちで毎日を過ごしましょう。

 

あの世なんか信じない、霊なんか信じないとおっしゃる方々にぜひ佐藤さんのご著書を読んでいただいて、ご感想をお聞きかせ願いたいです。

 

 

 

         北千住のスピリチュアルな占い師    安 寿

ある日突然

先日、買い物帰り、人通りの多い狭い道で、5キロはあろうかという重いリュックを背負ったまま、何かに両足を払われたように両足が突然滑り、派手に倒れて、上唇をコンクリートの床にぶつけてしまいました。

 

転び方が派手だったようで、周囲を通行中の女性の方が数人、「大丈夫ですか」と言いながら駆け寄ってくださいました。

一瞬の事でよく覚えてないのですが、両ひざと両手をついてうつ伏せ状態になっていたので、体の向きを変え、お尻を付けた格好で座り、心配してくださった方々に、「大丈夫です。」「有り難う御座います」とお礼を言ったのですが、私が立ち上がらないので、皆さんさらに心配してくださいました。

実はぶつけたところが痛くて立ち上がれないのではなくて、そんな転び方をしたショックが大きくて、一瞬ぼんやりしてしまったのです。

 

家に帰っていろいろ身体を点検してみると、右に滑ったので、左腕を強くついたのでしょう、左肩がだんだん痛くなってきましたが、両手のひらにも傷はなく、両ひざも打った時は痛かったのですが、痛みはすぐ取れて、ほとんど青あざもできていません。

両手をついたので、顔面を強打せずに済んだようで、本当に不幸中の幸いでした。

 

厚着をしていたことも幸いしたのかもしれません。

 

当日は左肩の痛みに加え、肘の方までだんだん痛みが広がったのですが、腫れもなく、骨は大丈夫だと安心しました。

 

それにしても、当日は雨も降っていなくて良い天気で、歩いていたところも特にツルツル滑りやすい所ではなく、履いていた靴底も、滑り止めがしっかりしている靴だったのに。

それに歩いていて、踏み出した片足が滑るなら理解できますが、一瞬両足がそろったように右の方にズルッと滑り、その瞬間「あっ、なんで?どうして?」と思ったのをはっきり覚えているのです。

 

「何かにやられた」という感じがしました。

早速毎日の吉凶を書きこんでいる手帳を開けてみると、その日は凶神が付いていました。しかも悪い数字の日で、赤いボールペンで、『ダブル凶日、注意』と書いてありました。

「やっぱりね。」と納得。

 

毎日手帳を見て注意すればいいのですが、普段見るのは、出かける時とか、病院やその他の予約を取る時とかで、普段の買い物くらいではいちいちチェックしません。

凶日であっても何も起こらないこともありますし、吉凶に縛られ過ぎる生活も嫌だからです。

で、いつもケガをしたり、嫌なことが有ったりした時、後で凶日だったことを知ることになるのです。

 

もちろん凶日だと知っていても、避けられないものもあります。そんなときは、「やっぱりね。凶日だから仕方ない」と納得して受け入れることにします。

 

自分の人生に必要のない「不都合な事」は起こりません。

みんな何かを教えるために起こるのです。

 

今回の事は私に何を教えてくれたのでしょうか?

まず、心配して駆け寄ってくださった方々に本当に感謝です。

世の中捨てたものじゃありません。まだまだご親切な方もたくさんいらっしゃるのです。

 

私は毎日少しでもストレッチや軽い筋トレをするよう心がけているのですが、それがいざというときやっぱり身を守ってくれたのだという事を感じました。

 

とっさに四つん這いになれて、顔面強打を免れました。

それでも唇が強くあったった様で、門歯の隅がほんの2ミリ四方欠け、唇の内側を少し切り血が出ましたがマスクをしていたのが幸いしたのか、少し膨れているほか唇には傷がありません。

ちなみにマスクは全然汚れていなくて、よく見ないと分からないくらいの小さな穴が開いていました。

 

翌日は肩の痛みも軽くなって、本当に骨折しなくてよかったと感謝です。

両手首は全く異常なしでコンクリートの床に両手をついたはずなのに、擦り傷もありません。いったいどんな格好をして転んだのでしょうか、自分でもわかりません。

 

いくら運動してもお腹はへこまないし、締まった体にならないし、5年近くジムに通っても、筋肉量は脂肪量よりやっと数グラム増えただけで、「運動なんて自己満足なのかしら?」と思っていたところだったので、これからも頑張り続けるよいモチベーションになりました。

 

厚着とマスクに助けられたこともありますが、今回のアクシデントが軽く済んだことに本当に感謝です。

 

 

         北千住のスピリチュアルな占い師   安 寿

小さな、でも大切な癒し

2月は確定申告やらあちこち医者通いやらで、ゆっくりパソコンに向かっている暇がなくて、ブログすっかりご無沙汰してしまいました。

 

2月はひどく寒い『冬』を感じる日が少なくて、月末は初夏の陽気になったり、翌日すぐ真冬に戻ったり、なんだか異常気象がひどくなっているような気がします。その上このところ小さな地震が続いて、気持ちの底にうっすらと不安が張り付いているような毎日でした。

 

ニュースを見れば、パレスチナウクライナの悲惨な状況が目に飛び込んできますし、自民党の派閥の責任者たちの「知らぬ、関与していない」の無責任さも、嫌でも目にしなければなりません。

週刊誌にすっぱ抜かれた自民党議員たちの不倫なんて、どうでもいいですが、政治資金の問題だけははっきりさせてもらわなければ、納税している国民は到底納得できません。

これだけはうやむやにさせてなるものかという気持ちです。

 

心を締め付けられるようなニュース、怒りが沸騰するようなニュースが毎日報道されますが、そんな中、地震からの復興の兆しがようやく見え始め、遅いとはいえほんの少しずつ前進しているような能登半島の方々のニュースが救いです。

1日も早く日常生活を取り戻せますよう、お祈りしています。

 

 

先日の夕方、ジムのお風呂を出てパウダールームに移動しようとしたとき、パウダールームが異常に騒がしいのです。

今までお風呂場で倒れたり、気分が悪くなった方が出た時もざわざわするのですが、今回はそれ以上に騒がしいのです。

いったい何事かと急ぎ行ってみると、40代から70代くらいの女性たちが6,7人、それぞれ鏡に向かいながら、中には顔に紙パックを張り付けたまま、口々に大声で何か言っているのです。

聞いてみると、心配した事故や急病などではなく、なんと大谷翔平さんが結婚したことを口々に嘆き合っているのでした。

 

ひとまずほっとしましたが、大谷さんは本当に人気者なのですね。中高年のおばさんまでがこれほど興奮し、大騒ぎするんですから。

ジュリー、沢田研二さんの時もすごかったような気がしますが、これほどでしたかね?

 

野球を知らない私でも、大谷さんは毎日ニュースに出るので知っています。

童顔で、少年のようにかわいく爽やかな感じで、ホームランを打つところは確かにかっこいいです。アメリカでも日本でも、沢山の人に夢や希望を与えているなんて、素晴らしいことですね。

 

「今日はやけ酒だわ」と言って笑い合うジム仲間たちを見て、「みんな元気だなあ」「平和でいいなあ」とちょっと心がほっこりしました。

 

今、苦難の真っただ中にいる世界中の人々が、こんなふうに平凡で平和な日常を取り戻せますように、心からお祈りいたします。

 

みんなから元気をもらって、久しぶりに身も心もすっきりした1日でした。

 

 

 

         北千住のスピリチュアルな占い師    安 寿

2024年はどんな年?

2月4日が立春で、占いの世界では新しい年の始まり、新しい運勢が動き始めます。

新年を占う年頭の新聞記事はというと、朝日新聞1面は、アメリカが『イラク、シリア7施設を空爆』です。戦争が拡大しそうで怖いです。

 

今年の世界情勢の占いは、本来なら希望と活力の年で、世界各国が門戸を開き、物流や人的交流などが盛んになり、商取引や事業提携なども盛んに行われ、世界経済が上向きになるような年なのですが、なにせ信用、信頼、物流、交流を象徴する星に凶神が付きますので、信用や信頼関係に亀裂や崩壊が生じ、人的交流や物流、貿易や商取引などに問題が生じやすい年となりそうです。

世界がまとまるより、分裂の方向に向かう危険性のある年です。

ですから、2月4日の新聞記事が気になるのです。

 

今のところアメリカもイランも戦争を拡大させるつもりはないと言っていますが、本当にそう願いたいものです。

これ以上の戦争拡大は、世界経済にとっても、自然環境にとっても、すなわち人類にとっても致命傷になるのではないかと恐れるからです。

 

日本のような小国がこの危険な世界情勢の中で生き残るためにはアメリカ追従は危険でしよう。紛争に巻き込まれる危険大ですから。

日本が主権を取り戻し真の独立国家となるために、今後どうしていくべきなのか、日本国民は真剣に考える時に来ているのではないでしょうか。

 

永世中立国であるスイスでも軍隊はあるのですから、国を守るためにある程度の軍備は必要だとは思いますが、国を守るものが軍備しかないなら、小国は大国には絶対かなわないことになります。

 

災害大国の日本が、災害を受けた国の瓦礫を処理するために活躍しているというニュースがありました。

商業分野では中国や韓国に多少の後れを取っているかもしれませんが、日本にはまだまだ世界に誇れるものが沢山あります。

それを商売だけでなく世界に役立てる国になったら、軍隊以上に日本の平和を守るものとなるのではないかと思うのです。

 

占いには個人の占いばかりでなく、180年周期で占う国の占いもあるのですが、それによれば日本は、2024年から180年周期の最後の20年に入ることになっています。

 

その前の20年は八白土星の時代で、民族主義、伝統の見直し、変革、不要物の淘汰、創造という暗示の有る時代でした。

これからの20年は九紫火星の時代で、衰微、秩序、文化、医療、精神という暗示があり、物質より精神的なものを大切にする価値観移行の時代です。

 

少子化が進みますから日本の国力はそれだけでも衰微に向かうでしょう。しかし物質ではなくみんなが精神を大切にし、文化芸術を楽しみながらゆったり生きられる時代になればいなあと希望がわいてきます。

 

時代の変革期には予期せぬことが起こりますが、新しい何かを創造する前の変化だと思い、希望を失わずより良い日本をみんなで考え、創り上げていきましょう。

そのためにも真っ先に、お金で政治をゆがめかねない自民党の皆様にはご退場願いたいものです。

 

 

 

          北千住のスピリチュアルな占い師    安 寿

 

『それでも私は 介護の仕事を 続けていく』を読んで

六車由実(むぐるま ゆみ)さんという方が書いた『それでも私は 介護の仕事を 続けていく』という本を読みました。

私がこの本に惹かれたのは、遠くない将来お世話になるであろう介護施設の様子や低賃金でキツイ仕事というイメージの介護現場で働く方々の姿に興味があったこともありますが、何より心惹かれたのは著者の変わった経歴でした。

 

六車さんは大阪大学大学院で民俗学を専攻され、文学博士であり、『神、人を喰う―人身御供の民俗学』で、第25回サントリー学芸賞を受賞なさっています。

 

もちろん社会福祉士介護福祉士の資格もお持ちで、2009年より静岡県東部地区の特別養護老人ホームに介護職員として勤務され、『驚きの介護民俗学』というご著書で、第20回旅の文化奨励賞、第2回日本医学ジャーナリスト協会賞大賞を受賞され、『介護民俗学』というジャンルを提唱した方なのです。

 

六車さんのご著書を拝見するまで、介護を民俗学的な視点で見る事など考えてもみませんでしたが、言われてみれば納得です。

一つの地域、一つの時代に人生を生きた私たち一人一人が民俗学の生きた資料ですものね。

そういう意味でも、どの老人も掛け替えのない貴重な存在なのだと思えました。

 

世の中では、生産性のない老人は「役立たずの社会のお荷物」的な扱いをされ、また高齢者自身もそう思い込み、肩身の狭い思いをしています。

みんなに迷惑をかけないように、『ピンピンコロリ』であの世に行きたいというのが老人たちの願いの一つです。

 

でも『介護民俗学』という言葉に出会ってからは自分たちが大切な存在なのだと気付かされ、同時に『介護』という言葉の暗くて重いイメージが払しょくされました。

 

六車さんは2012年10月から沼津市にあるご実家で、定員10名の小規模デイサービス「すまいるほーむ」の管理者兼生活相談員をなさりながら、民俗学の視点と方法を活かして、利用者さんたちへの聞き書きを続けていらっしゃいます。

 

聞き書きによって利用者さんたちの人生や生きてきた時代が浮かび上がる事で、利用者さんとの関係が変化し、それが介護の在り方を変えていくという体験をしてきた』

                      (本書より引用)

           

どんな風に聞き書きをするのか、どんな風にその事で利用者さんたちとの関係が変わっていくのか、どんな苦労があり、どんな喜びがあるのか、そんな介護の日常がこの本の中に書かれています。

出来ることが少しずつできなくなり自信を無くしていく利用者さんたちの姿に自分の将来を重ねてしまいます。そして元気を失っていく利用者さんたちに誰よりも心を痛め「迷惑をかけたっていいんだよ」と寄り添ってくれる職員さんたち。

私も少しは介護を経験したので、両者の気持ちが痛いほどわかります。

 

亡くなる方もいるし、ホームになじめない方もいるし、いろんなことがありますが、それでも「すまいるほーむ」は暗くありません。

亡くなった方の追悼会をやったり、みんなで創作のお芝居をやったり、楽しい時間や励まし合いがあって、みんながみんなでそれぞれの命を最後まで支え合っているからです。

 

認知症になってもできるだけその方のできることを探して、みんなのために何かをしていただいたり、また、『介護民俗学』的観点から利用者さんの人生を聞き書きして、利用者さんと職員、利用者さん同士の心の交流を深めるとても素敵なグループホームなのです。

 

聞き書きなどで認知症の方に昔のことを思い出してもらうのは認知症に効果的だと言われていますし、たとえ認知症が重くなって会話が成立しなくなっても、聞き書きの記録があるだけでも、その方の人生に対する尊厳の気持ちを持ち続けることができるのではないかと思います。

そういう関係であれば、時々老人施設で発生する職員による利用者さんへの虐待も無くなるのではないかと思うのです。

『介護民俗学』はこれからの介護に希望を与えてくれます。

 

今まで私は介護施設にいい印象を持っていなかったのですが、同じ時代を生きた仲間たちと老後を過ごすのも面白そうだと思えてきました。

『介護民俗学』的視点から老人仲間を眺めて見れば、一人一人に人生があり、嫌だと思う人にも人生があり、日々いろんな発見があるに違いありませんから。

俄然、近い将来の我が施設生活に興味が出てきました。

 

本書を読んですっかり六車さんのファンになり、将来は沼津に転居して「すまいるほーむ」でお世話になれたらいいなあという夢ができました。

今年の初夢です。

 

 

 

            北千住のスピリチュアルな占い師    安 寿

2024年もよろしくお願いします!

『明けましておめでとうございます』というのもためらわれる、元日の大地震です。

 

夕方の4時頃、パソコンに向かっていた時、一瞬めまいかなと思ったのですが、壁に掛けてあった額が揺れているのを見て、地震だと思いました。

大きくゆっくりと長い時間揺れていて、3・11の時の揺れに似ていると思い、すぐに震源地はどこだろうとニュースをみました。

 

私の住む東京近辺かと思ったほどの大きな揺れでしたが、石川県や福井県のあたりと知り、本当に驚きました。しかもマグニチュード7以上の大地震で、津波警報が繰り返され、緊迫した様子で、正月気分が吹き飛びました。

 

まだ詳細は分かりませんが、夜には氷点下まで気温が下がる雪国ですから、地震津波の恐怖に耐えて避難なさっていらっしゃる皆様、ご自宅を守っていらっしゃる皆様、本当に大変な事だと胸が痛みます。

 

2024年、波乱の幕開けとなってしまいましたが、どうぞ皆様、希望を失わず、一日一日を大切にお過ごしください。

 

今年もどうぞよろしくお願い致します。

 

 

 

        北千住のスピリチュアルな占い師   安 寿